2003年

平成15年あれこれ

 学校の先生の不祥事が後をたたない。”聖職者”、こんな言葉はもう死語になってしまったのだろうか?先生が生徒、それも小学生を強姦する。信じられない事件ばかりが続く。年に1回伺う○○県△△市。立ち寄る小料理屋がある。常連客の多い店である。店の主人が先生と呼んでいる客がいる。今年もその人とカウンターで隣り合わせになった。高校の教師らしい。飲んだ勢いで「最近、教師の不祥事が多いですね。先生は、どう思いますか?」と質問してみた。「同じ教職者として誠にお恥ずかしく面目ない・・・」そんな答えを期待していたのだが、「ああいう馬鹿な教師がいると助かります。我々にとっては有り難いことです」予想外の答えに首をひねると、「我々は、私立校の教師です。生徒が集まらなければ給料がもらえません。公立に馬鹿な教師がいると私立に生徒が流れてきますから大いに結構なことです」平然と言い切る言葉に、唖然とするやら妙に納得するやら・・・複雑な心境。公務員の皆さん、どう思う・・・

 プロ野球のテレビ中継を見ているとガムを噛みながらプレーする光景をよく見かける。最近、研修を担当をしていると自分も野球選手になった気分の輩(やから)が多く困ったものである。研修中に平気でガムを噛んだり飴を舐めている。一般職、管理職に関係なく見受けられる。注意するのも嫌になる。

 衆議院選挙が終わった。期待していた投票率も相変わらず。この国は、将来どうなるのだろう。
世の中を悪くしているのは、無関心な有権者自身であることに気がつくべきはずなのに。投票率を上げる方法(アイディア)など山ほどあるのに、「投票しましょう!」の掛け声だけ。そんなことで投票率が上がるわけがない。

大手企業に勤めていた息子がリストラにあった。人ごとと思っていたリストラが現実となった。リストラされた人への見方が変わった。人の痛みを頭で考えるのではなく肌で感じることの大切さを教えられた。

来年も、素敵な宝石を貯めて参ります。ご愛読ください。


人情の街で

 仕事のおかげで、いろんな所へ行かせていただく。中でも福岡は私の好きな県の一つである。すこぶる人がいい。人に味がある。福岡県Y市に研修で伺うようになって数年が経つ。初めて伺った時、風邪で体調が悪く最悪。泊まったホテルの案内係の女性が風邪に気づき卵酒を造ってくれた。いまでも忘れることができない。
そんな人情のある街だ。

 そのY市に先日、仲間と一緒に仕事で5泊した。小料理屋の「味処M」は、繁華街の中にある。古くからある店らしい。高齢の夫婦(?)が経営している小さな店である。そこで食事をした。関東では食べられない特大のしゃことビッシリ身の詰まったワタリガニをたらふくいただいた。しゃこには、食べやすいように包丁が入れてある。ワタリガニの食べ方も手を汚すのも惜しまず手ほどきをしてくれた。催促もしないのに新しいおしぼりがタイミングよく何本も出てくる。素晴らしい気配りだ!極めつけは帰り際。玄関を出ようとした私たちに女将さんの一声。玄関を入った所に据えつけてある手洗い場(トイレ用ではない)で手を洗ってください、と石鹸を持って勧めてくれた。聞くと、しゃこやワタリガニは、手に匂いが残るという。もう一軒店に行かれるときのために、と念を押された。
それがおせっかいでもなく、サービスの押し売りでもなく、自然な振る舞いとして受けとめられる。仲間とともに感心した。人を引きつける何かがある。住む人の情がそうさせるのだろうか・・・

 よい気分の私たちは、女将さんの期待に応えて?もう一軒廻ることにした。立ち寄った「スナックR」は若干27歳のママ。24歳で店を開いたというから驚く。客に媚びない、ねだらない。そんなママさんだ。若いのに若い娘(こ)を上手に使っている。この店にもまた来たくなる何かがある。最近は、まったくスナックにご無沙汰だった私。これからも滅多にスナックに入ることはないだろうと思う。でも、この店なら立ち寄っても・・・そんな余韻が残る。
やっぱり人情の街なのだ。また、訪れたいと思う。来週は福岡県O市へ。この市も好きな街。いい仕事をしなければと、気合が入る。

プロフェッショナル
 日曜日、研修先への移動日と重ならない限り常にみているテレビ番組がある。
 UHF千葉テレビが放送する「カラオケトライアル」がそれ。審査委員長を市川昭介先生がつとめ、予選を勝ち抜いた人たちが初段から4段までの段位に挑戦する。審査員の中に毎回プロの歌手が1名加わる。失礼だが、私には聞き覚えのない人がほとんどである。つまり、無名に近い歌手と言ってよい。その人たちの中には、歌手歴が長いベテランもいる。昨今、プロ級ののどを披露する素人も多い。しかし、その番組をみていると”さすがプロ”といつも関心する。どんなにうまい人でもプロには及ばない。何かが大きく違う。何が違うのかと考えてみる。歌の基本習得とトレーニング(鍛錬)、目標や夢を失わない心、仕事への誇りなど、そして、何より強く感じるのは
貪欲なほどの生活感だ。そんな素振りの片鱗も見せないが、運をつかむまでは歯を喰いしばってでも生きていく、と言う意地がある。私もプロだからそれがよく分かる。組織に守られて生活していると、仕事はこなせてもプロの心が蝕まれるのが恐ろしい。

 
わき役でもプロはプロ。先輩の招待で年数回、新橋演舞場で観劇を楽しませていただく。オペラグラス(双眼鏡)を覗いて舞台を眺める。その時私は、舞台の主役よりもわき役や舞台装置を見ていることが多い。そして、いつも唸ってしまう。セリフのないその他大勢のわき役でも舞台に立っている時は、絶対に手抜きをしない。その他大勢の役を確実に演じている。そして、舞台の小道具一つでも気を抜かずにセッティングしている。病室での場面で、客席から読めるはずもない患者プレートに、入院日、氏名、担当主治医、診療科などの記載がしっかりと書いてあった。プロの心を思い知った。手抜き工事をしない姿勢がプロの基本条件のようだ。

視点
 Oさん(女性)は、私の良き飲みともだちで素敵な友人である。年に数回会って楽しい一時を過ごす。もちろん、女房も公認の人である。がんばり屋で頭もシャープ、人柄も良い。60歳を過ぎても仕事をバリバリとこなす。エネルギッシュさは衰えない。長年の付き合いだが、「なぜ結婚しなかったのか」と尋ねたことはない。独身である。「私は生涯独身!」と屈託がない。

 そんなOさんのある時の会話。「独りでいても、苦しいときや辛いときは耐えられるのよね。でも、嬉しいことがあったときはダメ。こんなに嬉しいのにその気持ちを語れない。聞いてほしいときに聞いてくれる人が側に居ない。そんなときって耐えられなくなるの・・・」なに気ないひと言だったが、妙に感心した。そして、
今まで考えたこともないその視点、見方に驚いた。ふと、「旅行はどうして楽しいのか?それは帰る所があるからさ」いつか先輩が話していた言葉が脳裏をよぎった。

 Oさんと一緒にいると楽しい理由(わけ)が分かったような気がした。そのことをよく知っているから人一倍聞き上手なんだと・・・私が嬉しかった話をすると「よかったわね!」と体全身で喜んでくれたり褒めてくれる。辛い思いや愚痴をこぼしても嫌な顔一つせずに真剣に聞いてくれる。その原点はここにあったのかと思う。
傍から見ればとても恵まれていて素晴らしいことなのに、そこに視点がいかない。家族のコミュニケーションを考えるよいきっかけにせねば、と反省しながら家路についた。

自分へのご褒美
 大波、高波が社会を激しく襲う。不安定社会は、時化のなかで、もがく船のように大なり小なり私たちをも揺れ動かす。船酔いは、ストレスという形で人の心に侵入してくる。

 私はプレゼンテーションや話し方の研修を依頼されることが多い。実習中心の実践的なプログラムで運営している。時々、「私のちょっとした贅沢」というテーマで話していただくことがある。もちろん、大きな贅沢でも構わないことも補足する。さまざまな話が飛び出し、会場は大きな笑いや感心のどよめきに包まれる。

 自転車で通勤しているAさん。通勤途中に土手がある。帰り道、その土手の手前のコンビニで雨がふらない限り発泡酒を1本買う。給料日だけは発泡酒から1ランク上のビールに格があがるという。栓を開けた時のシュパーという音を楽しみ、土手に座ってゆっくりとビールを飲む。夕日がきれいな時は格別だそうだ。Bさんは大のお風呂好き。お湯を湯船いっぱいにはるのが彼流のやりかた。そこに、ザブーンと体を沈める。すると勢いよくお湯が溢れ出す。溢れたお湯は排水口に渦を巻いて吸い込まれていく。浴槽に顎肘(あごひじ)をついてその様を見る。心が落ちつく至福の時と彼はいう。贅沢に馴れきった世の中で、
ささいなことでも贅沢と感じられる感性に脱帽する。女性のCさんの場合は、ちょっと大きい贅沢である。「共働きで子供にもお金がかからなくなったからできるのでしょうね」と前置きして話が続く。誕生日は、全員で祝ってもらえる幸せ家族。しかし、彼女には、もう一つの誕生祝いがある。歳の分だけの金額に見合う品物を自分で自分にプレゼントする。1年間よく頑張った自分へのご褒美だという。「本当は歳をいいたくないのですが、ちなみに今年は48万円相当の品でした」と照れながらいった。会場が一瞬どよめいた。そして、Cさんに大きな拍手が贈られた。

 素敵な話を聞きながら、人はこうしてストレスに負けない自分づくりをしてるんだなあ、としみじみ思う。以来、私もそうすることにした。私の自分へのご褒美は、年に数回、
ファーストクラスの席に座って空の旅を満喫すること。とても気分のよい一時である。でも、それはちょっとした贅沢。1回あたり4,200円。本当の話である。ご希望の方はご一報を・・・・

気くばりが心をつかむ
 仕事柄ホテル住まいが多い。寝たら最後、目覚し時計が鳴るまで目が覚めない。そんな昔がなつかしい。歳のせいか?物音に敏感になり熟睡できないで困ることがある。だから、ホテルを選ぶ時は少し神経質になる。

 ホテルFは道路沿いに面している。防音が効いていても車の音で目が覚めることがある。でも、ホテルが少ないので2度目もそこに泊まった。案内されたのが205号室。2階の角部屋である。上層階の方が静か、との先入観があったので案内された部屋は不満だった。でも上層階に空きがないとのこと、仕方がない。しかし、入室して驚いた。音が静かである。2階建ての隣の建物が音をうまく遮断しているようだ。これはいい。そこで、次の泊まりはチェックアウト時に、その部屋をリクエストしたが連泊のお客で埋まっているとのことだった。その地域での仕事はしばらくなくて、4度目の利用はそれから10ケ月程あとのことだった。ホテルの予約は事務方に任せるケースがほとんどなので、205号室リクエストは多忙で忘れていた。4度目のチェックイン。「いらっしゃいませ高橋様、お待ちいたしておりました」リクエストして断られたときのフロントの女性が笑顔で迎えてくれた。名乗る前に名前を呼ばれるのは気分がいい。「高橋様、あの節は失礼いたしました」次の言葉に「エツ、なんでしたっけ?」と私。「いつぞやは205号室をおとりできずに申し訳ありませんでした。本日は205号室をご用意させていただきましたので」と彼女。かれこれ10ヶ月前の話である。接遇研修を指導する私も、この気くばりには恐れ入った。「さすが接客のプロ!」と唸ってしまった。

 その後、研修先にもっと近い所に設備も充実したホテルがオープンした。それから数年が経つ。でも私は相変わらずホテルFを利用している。205号室がとれない時もあるが、他の部屋でも、数年前の彼女の気くばりが眠りを誘ってくれる。

聞き手の決定権とは
褒められているのに腹が立つことがある。例えば「阿木さん、今日のファッションはすっきりしていますね」などと言われると、時として不愉快になる。じゃ、いつもはどうなの?ゴテゴテしていて趣味が悪いってこと、といった具合にだ。
久しぶりに会った友人に「昔は綺麗だった。可愛かった」を連発された。彼には若い女性の連れがいたのだが,そちらに向かって、「20年前の阿木さんはキラキラしていて近寄り難い人でしたよ」と話しかけている。こういう時、こちらとしてはどんな顔をしていいのか困る。嬉しいどころか腹立たしさが募るが、良い年をしてそれをあらわにすることもできない。いつか読んだ、作詞家阿木耀子さんの書かれた記事である。

聞き手は二つの辞書を持っている。一つは国語的な辞書。もう一つは自分独自の辞書である。相手から発信された言葉を私たちはこの二つの辞書を使って意味解釈しているのである。国語的辞書では、すっきりしているのは文字どおりすっきりしていることである。しかし、自分独自の辞書では”褒められているのに腹が立つ”ことになる。これは聞き手に決定権があるために起こる現象である。悪気がないつもりでも相手を傷つけていることがある。また、たわいのないひと言のつもりでも顰蹙(ひんしゅく)を買うことがある。退任した武部農林水産大臣がその時のインタビューに「在任中は楽しかった」と応えていた。「狂牛病事件の時もですか」と重ねて問われると「大変だったけど、あの時はあの時で楽しかった」と平然と応えていた。呆れてしまった。聞き手に決定権あり。繊細さが無いと誤解を生む。
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