褒められているのに腹が立つことがある。例えば「阿木さん、今日のファッションはすっきりしていますね」などと言われると、時として不愉快になる。じゃ、いつもはどうなの?ゴテゴテしていて趣味が悪いってこと、といった具合にだ。
久しぶりに会った友人に「昔は綺麗だった。可愛かった」を連発された。彼には若い女性の連れがいたのだが,そちらに向かって、「20年前の阿木さんはキラキラしていて近寄り難い人でしたよ」と話しかけている。こういう時、こちらとしてはどんな顔をしていいのか困る。嬉しいどころか腹立たしさが募るが、良い年をしてそれをあらわにすることもできない。いつか読んだ、作詞家阿木耀子さんの書かれた記事である。
聞き手は二つの辞書を持っている。一つは国語的な辞書。もう一つは自分独自の辞書である。相手から発信された言葉を私たちはこの二つの辞書を使って意味解釈しているのである。国語的辞書では、すっきりしているのは文字どおりすっきりしていることである。しかし、自分独自の辞書では”褒められているのに腹が立つ”ことになる。これは聞き手に決定権があるために起こる現象である。悪気がないつもりでも相手を傷つけていることがある。また、たわいのないひと言のつもりでも顰蹙(ひんしゅく)を買うことがある。退任した武部農林水産大臣がその時のインタビューに「在任中は楽しかった」と応えていた。「狂牛病事件の時もですか」と重ねて問われると「大変だったけど、あの時はあの時で楽しかった」と平然と応えていた。呆れてしまった。聞き手に決定権あり。繊細さが無いと誤解を生む。 |