2005年
手を合わせる(合掌) 2005年12月

 私は神・仏を強く信仰するタイプではない。でも、ときにふと手を合わせたくなることがある。先月、太宰府天満宮の近くに仕事で出かけた。関東はもう5時前に暗くなる。でも九州は陽が落ちるのが40分ほど遅い。4時半が過ぎていたが思い切ってホテルに行く前に立ち寄った。すぐ近くに国立博物館ができたせいか、夕方なのにかなり人が多かった。運よく、菊花展が開かれていた。素晴らしい作品に心が癒された。神様に手を合わせ「明日からの研修の成功」「家内安全」「商売繁盛」「大願成就」など欲張ってお祈りした。二人の孫の健康を祈ってとても可愛い『健康お守り』を二つ買った。

 その前の月(10月上旬)、これも仕事で富山へ行った。夕食を終えて街をブラブラ散策していると路上占い師(女性)が居た。滅多に占ってもらうことなどないが、足を止めてお願いした。鑑定料は3,000円とのこと。占い師は、客との会話をヒントにあれこれ言うことを知っているので無口を演じた。「とても良い手相ですね!」腹の中でほらきた、と思った。「開ける運勢ですね・・・これからもよくなりますよ!」おせじでも笑みがこぼれる。「でもあなたの運勢は、多くの方に支えられて開かれたものですね・・・」一瞬「うっ!」。「だから、あなたは信用に応えようと頑張れるんですね!信じられないほど忙しいでしょう?」。「そのとおりです!忙しくてまいっています」とはじめて無口を解除した。「感謝の気持ちを大切にしたら、来年はもっと支えてくださる方が増えますよ!あなたの運(人生)の良さは人に味方されてのものね!!」占い師はそう断言した。

 5,000円を渡してお礼を述べてその場を去った。(もちろん、お釣りはもらわなかった)心の中でお客さまに手を合わせた。
 
  

真の接客 2005年11月

 タクシー業界の厳しさは半端ではない。「今週の玉手箱」でもそのことを配信させていただいた。W県での今年度の仕事が終えた。今年も馴染みのドライバー、小林さんに送迎のお世話になった。長いお付き合いなので、東京に戻るときは空港まで送っていただく。高速バスなら1000円だが、タクシーだと12,000円はかかる。でも、その位しかお礼ができないので、私のせめてもの気持ちだと思っている。1日働いても1万数千円程度しか売り上げがいかない地方なので、正直、心から喜んでもいただける。

 午前中の研修を終えて昼食のため講師控え室に戻った。研修スタッフのNさんが言った。「さきほど、いつもの運転手さんが見えましたよ。少し風邪気味なので、空港までの送りは他の運転手さんを廻すとの伝言でした。お昼の休憩時間中にお詫びの電話をさせていただくとのことです」と。朝はそんな気配がなかったのに怪訝な思いの私に、Nさんが会話を続けた。「きっと、先生に対する気くばりだと思いますよ。お忙しい先生に風邪をうつしたら申し訳ないと思ったのよ。きっと・・・」。Nさんの感にも感心した。そして、電話で済むことなのに、わざわざ研修所までそのことを伝えに来てくださったことに驚いた。

 10月、飛行機に乗らない週はなかった。身体も疲労困憊。それでなくても風邪にかかりやすい体質。いまダウンする訳にはいかない。そんな思いが頭をよぎった。しかし、彼の人の良さが代え難いものに思えた。売り上げ確保の厳しい中で、みすみす他人においしい仕事をあげる人はいない。私の携帯電話が鳴る前に、彼の携帯に電話を入れた。案の定、まだ仕事を続けていた。事情を確かめるとNさんの言うとおりだった。これが真の接客だと脱帽した。気づかいを感謝して、「無用な心配をしないで」、と伝えた。予定どおり空港まで送っていただいた。風邪はそんなにひどそうではなかったので安心した。空港でタクシーを降りる私に、かなり高価な土産袋を「気持ちです・・・」そう言って手渡してくださった。幸い、風邪はひいていない。
 
  

人の心の味 2005年10月

 世の中、まだまだ見捨てたものではない。

 F県O市は、空港から高速バスで1時間40分、タクシーでも1時間半はかかる。年に一度、数年前から研修で伺っている自治体がある。利益を考えたら、失礼ながらうま味はない。しかし、研修担当者の熱意を意気に感じてズーと仕事をさせていただいた。そのO市で、4年前に立ち寄らせていただいた居酒屋がある。私の義兄も田舎で居酒屋をやっている。義兄より齢はかなり若いが、タイプがよく似ている。一徹な職人気質の店主(マスター)である。そんな彼に惚れ込んだ。

 O市の研修を、昨年は私から願ってお暇をいただいた。でも、今年あらたに依頼があった。また、研修担当者の熱意にほだされ、この夏は2回もお伺いした。空港までは高速バスが一番便利である。1回目に伺った帰り、渋滞でバスが遅れた。でも飛行機の離陸も遅れ幸いだった。次の日が休みだったから、最悪、乗り遅れても支障はなかった。2回目は、そうはいかない。翌日は都内での仕事が入っているのだ。電車を利用すれば確実だが、かなり面倒くさい。タクシーも確実だが、料金が2万円弱かかる。そんなことを飲みながらマスターに話した。「私が送って行きましょうか?」。思わずその問いに驚いた。「お店があるのに、それでは申し訳ありません」「どうせ、早い時間は客など来ません。大丈夫ですよ」そんなやりとりが続いた。結局、お言葉に甘えさせていただいた。

 5時に市役所の正門で待っていただくことにした。私はどんなに暑くてもスーツは脱がない主義だから、その日も汗だくで仕事を終えた。5時に正門に行くと、既にマスターが待っていてくれた。「すみません」と言って乗り込むと、「お疲れさま」との言葉に添えて、超冷たいオシボリを2本いただいた。凄い気くばりに心の中でうれし涙がこぼれた。「離陸前に食事をとる時間はないでしょう。このバナナおいしいですよ」と手渡していただいたその味が、今でも忘れられない。まさに“人の心の味”だった。揚句、お土産までいただいてしまった。何倍もの講座料金をいただいた思いで家路に着いた。

  

この夏、あれこれ 2005年9月


 暑さが続いたせいか、ことさら長く感じた夏である。残暑もまだ厳しい。やり残していたことがあったので、28日(日曜日)何とか時間をとりようやくその作業を終えた。土の虫干し(消毒)がそれである。陽射しが強かったが、作業には打って付けだった。

 大きな地震が2度続いた。被害も出た。地震には慣れっこの私たちだが、びっくりして外に逃げた。衆議院選挙の投票日(9/11)に、関東に大きな地震が来る、そんな噂もある。何もないことを祈りたい。その選挙が公示されたばかりなのに、本番さながらの選挙演説が解散と同時に始まり過熱している。変な話だ。

 馴染みのタクシー運転手さんから(いつも乗せていただいている)お土産をいただいた。17年ぶりに生まれ故郷の宮崎へ、(還暦祝いを兼ねた同級会に出席のため)帰省したとのこと。朝まで仕事をして、一睡もしないで羽田から出発したそうである。そして、2泊してすぐに戻ってきた。せっかく数年ぶりに帰ったのに、なぜ、ゆっくりしてこなかったのかを尋ねた。「そんなに休んでいたらリストラされますよ」、と即座に答えが返ってきた。思った以上に世の中は厳しいのだ。

 年1回、仕事で伺う某市の飲み屋に寄らせていただいた。1kmほど先にイオン(ジャスコ)がオープンしたおかげで店の客が激減して滅入っていた。想定外だったようである。まさかこんなに影響が出るとは意外だったらしい。理由は、週末を家族づれでジャスコに行って過ごすため、こづかいが無くなって飲み代に廻せない人が増えたせいだと言う。そう言えば、私の息子夫婦も子どもと一緒に週末はジャスコに行っている。激減の理由が分かるような気がする。やはり、勝ち組社会が深く侵攻しているのだろうか。

 それにしても、おかげさまで忙しい夏だった。有り難い限りである。(深謝いたします)3日から遅い夏休み。今度こそ休みを満喫したい。
 
  


なつかしい音 2005年8月


 昔はあたり前のように聞いていたのにすっかり忘れている音がある。

 7月23日から月末まで夏休みの予定でいたが、結局、仕事が半分以上の休みとなってしまった。それでも何とかやりくりして、温泉に出かけることができた。遠出は無理なので、茨城県の湖畔のほとりに建つ温泉旅館に1泊した。食事時の頃から、蛙の合唱が始まった。まさに、“カエルの唄が・・・・”である。すっかり忘れかけていた音(声)だ。生まれ育ったのは、小さな山間部の町である。家のすぐ前が田んぼ。蛙の合唱は、子守唄のようなものであった。自然の織り成すなつかしい音に、しばし、子どもの頃に帰った想いがした。

 昨日の日曜日は、夏休み最後の日。妻は昼寝、私はホームページの更新に追われていた。遠くから、小学校の頃、始業と終業時に聞いたのと同じような鐘の音が聞こえてくる。何の音!?と気にしていると、その音が我が家のほうに近づいてくる。窓から覗くと、これまたなつかしいアイスキャンディ売りの鐘の音であった。思わず声をかけ外に出た。棒アイスキャンディを2本買った。昔、ガタガタ道を古い自転車で売り歩いていたアイスキャンディ屋さんの姿が瞼に浮かんだ。いまでも、このような商売が健在なのは喜びである。アイスキャンディなど滅多に食べないが、とてもおいしかった。

  


言葉づかい 2005年7月


 世の中がどんなに変わっても、変わってほしくないものがある。それは言葉づかいだ。

 初孫(男子)がこの9月で満3歳になる。最近よく会話ができるようになってきた。先日、近所のコンビニに妻と孫が買い物に行った。信号のない歩道で手を挙げて渡ろうとしたら、若い人の運転する車が猛スピードで通り抜けていったそうだ。妻が「危ないね!」と言うと「ばあば、ムカツク?」と孫が聞いてきたそうだ。大人びた会話に妻が驚いていた。その孫が何か食べたときに「うまいね」と言うと、ばあばは「そうね、おいしいね」と応えている。特に女性は、物を食べて「うまい」とは絶対言わなかった、と妻は言い張っている。道路を歩いていたら、後ろから「肉、食いてー」と叫ぶ声が聞こえてきた。振り向くと、焼肉屋の前にいたのは女性たちだったとのこと。これも妻から聞いた話だ。男女同権と声高に叫ぶのも結構だが、『言葉の文化』も大事にしたいと思う。「ら抜き」言葉の食べれる、「千円から」、「○○の方」などの言い方も気になる。

 いつだったか、仕事で成田から伊丹までの飛行機に乗った。私の隣に若い(多分)女性が座った。連れがいたが隣同士の席が取れなかったらしい。「よろしければ、席を替わりましょうか?」と声をかけた。「ごていねいなお心遣いありがとうございます」返ってきた言葉が爽やかに耳に響いた。いまでも、鮮明に耳の奥に残っている。
  


離れて観る 2005年6月


 私の今年のゴールデンウイークは11連休だった。温泉旅行と思っていたが、結局どこにも出かけることなく終わってしまった。この間、これまでの仕事に使用した資料の整理や連休明けからの研修の準備などもあり、仕事半分、遊び半分のような毎日だった。お天気も比較的に穏やかだったので趣味の花いじり(残念ながらまだガーデニングとはいえない)を毎日楽しむことができた。

 9日から研修が始まった。研修で1週間留守にすることは珍しくはないが、3月〜4月はほとんどそのようなことは無い。長くても3日程度だ。15日から久しぶりに6日間留守にした。仕事のリズムが戻っていないせいか、ヘトヘトに疲れた。家に帰ると風呂にも入らずに鉛のように重い体を布団に沈めて寝た。

 翌日、庭に出て驚いた。(小さなちいさな庭です)草花が驚くように育っている。育ち具合が異様に思えるほどだ。著しい成長が手にとるようにわかる。「何でこんなに伸びたの!?」と叫びたくなる思いだ。しばらくして気がついた。急に伸びたのではない。連休中も毎日伸びていたことを。毎日見ていたから成長に気づかなかっただけなのだ。目が慣れるとこんなにも変化を見る目が鈍るのか、とあらためて反省した。

 人もそうかも知れない。成長しているのに見慣れてしまってそのことが見えない。むしろ親や上司の見る目に問題がある場合があるかも知れない。気をつけなければと思った。『離れて観る』、そのことで見えてくることが他にもたくさんありそうだ。

 そう言えば、留守が長いほど妻が良く見えるような気がする。(妻は留守が長い方が良いようだが・・・)
  


30余年の時を経て 2005年5月


 自分の身のまわりで、30年以上使い続けているものがいくつあるだろうか?意外とないことに驚く。かつては時計のSEIKOに勤務していたが、社員割引で買った結構高価な時計も1ケも残っていない。そんな中で、いまでも30余年の時を経て使い続けているものが二つある。

 一つは、景品で当ったSANYO製の充電式髭そり。まったく衰えがない。まだまだ健在だ。それにしても、なぜこんなに丈夫なんだろう、と不思議でならない。私の命よりも長生きしそうな気がする。

 もう一つは、結婚のお祝いにいただいた和式用テーブル。これには殊更(ことさら)思い出がある。私たち夫婦の原点の品だから・・・思えば結婚生活は、6畳一間からのスタートだった。このテーブルから新婚生活が始まった。結婚して1年半後に子どもが生まれた。これがビックリ双子の子である。和式用テーブルは、急遽、ベッドに早変わり。テーブルの上に布団を敷き、その上に子どもを寝かしていた。寝返りを打つ頃までは、彼らにとっては最高のベッドとなった。ベッドを買う金が無かったことと置くスペースがなかったのだろう、と回顧する。このテーブルは、いま私の仕事机として活躍している。

 ローン返済のため生活はそう楽ではないが、人並みにマイホームを持ち、子どもの住まいのためにと敷地も手に入れた。小さいながらも都内に事務所を置くこともできた。テーブルを見るたびに、子どもの寝姿や6畳に布団を4人分敷くスペースがなかったことを思い出す。遠い過去となってしまったが妙に懐かしい。そして、当時もそれなりに幸せだったような気がする。
  


機転・気くばり 2005年4月


 ディズニーランドの某レストランでの話である。老夫婦?(年齢不詳)がある席に着かれた。タイミングを見計らい、店員はオーダーを聞いた。それにご夫婦は躊躇いもなく答えた。オーダーには、自分たちのもの以外に「お子様ランチ」が含まれていた。つまり、3人分の注文である。その辺のファミレスなら、オーダーを復唱して終わり。失礼ながら多分そうだと私は思う。しかし、そこの店員は違っていた。「お冷を二つしかお出しせずに大変失礼いたしました。あとでお子様がいらっしゃるのでしょうか?」と 尋ねた。「いいえ、私たちだけです」とご夫婦。その返答ぶりに店員は何かを感じたのであろう。「承知いたしました。お子様ランチに思い出がおありのようですね・・・」と遠慮深く会話を続けた。そのとき、女性の目頭に涙が浮かんだ。男性が堰を切ったように話し始めた。昨年の今日、ご夫婦は孫を連れてディズニーランドを訪れた。誕生日かあるいはその前後かは定かではない。しかし、お祝いを兼ねての遊園だった。そして、このレストランの、確かこの辺りの席で食事をしたという。お子様ランチをおいしそうに食べながら「おじいちゃん、おばあちゃん、とっても楽しいね!」とはしゃぐ様子をまぶしくご夫婦は見つめていた。そして、「また来年も必ず連れてきてね!」との弾む声に、いっぱいの笑みを浮かべて「ウン、ウン」と何度も頷いた。しかし、今年その子はいない。お気の毒に天国に召されたのである。「今日が、その約束の日なんです」気をとり直すように男性が言った。神妙に店員はその場を去った。

 間もなく、店員が料理を運んできた。そして、ご夫婦の席の中間に「お子様ランチ」を置いた。その隣には、キャンドルの灯ったミニケーキが添えられた。当然、お冷も用意された。無念の中にも、ご夫婦に"約束を果たせた"そんな安堵感が流れた。周りの人たちも、見てみぬ気遣いをしながら熱い想いに浸っていた。

 春休みで、ディズニーランドはいっそう大盛況のようです。このお話は、私の研修に参加していただいたお一人がスピーチしてくださったものです。どなたのお話だったか失礼ですが思い出せません。(お許しください)また、本人が側で体験したお話なのか又聞きなのかも定かではありません。記憶を頼りに書かせていただきました。本来、出所の不明確な内容は書くべきことをひかえることも承知しています。でも、「いつか配信したい」そう思っていたのです。どうぞ、ご理解とご了承ください。
 


浪花節でもいいじゃないか! 2005年3月


 W市での16年度の研修がすべて終了した。今年度は4回伺ったことになる。タクシードライバーのKさんとは、3年のお付き合いになる。W市に着くとKさんの携帯に電話して仕事先と宿泊ホテルの送迎を依頼する。いつも快く引き受けてくださる。研修最終日は、空港まで送っていただく。高速バスを利用すれば1000円で済むのに、タクシーだとその10倍はかかる。でも、その金額が惜しいとは思わない。自宅に帰るときは、JR船橋駅で下車する。客待ちのタクシーが数珠つなぎである。でも私は、K社のNさんと会えるような気がして、タクシープールのズーと後ろの道路まで(3〜5分位)歩く。すると不思議に彼と会える。K社の研修を依頼されている訳でもないのに、もう何年もそれが続いている。

 KやSの研修を長年担当させていただいた。ある年、ぱったりと依頼が途絶えた。理由は一切聞かなかった。何年かして、また研修の依頼があった。私は、また何も言わなかった。(正直、腹も立ったけれど)そして、その研修が今も続いている。

 私にはもう一つの顔がある。研修の仕事と同時に婚礼司会を長年務めてきた。私自身はその道は引退したが、近々、久しぶりに司会のマイクを握る。3人兄弟の末っ子(新婦)の披露宴司会を依頼されたからである。かつて契約をしていたホテルの営業責任者からの依頼であるが、長男と長女の婚礼司会を担当させていただいたお客さまだった。本来ならばお断りしたかったがお引き受けすることにした。2月26日にお打ち合わせをした。お客さまは、私が引退したことを知らなかったので、指名すれば大丈夫と思っていたようである。そのお打ち合わせの席で「高橋さんに司会をやっていただけなかったら、このホテルでなくてもよかったのよ」とおっしゃっていただいた。心の中で涙がこぼれた。

 法律の改正で、市の外郭団体が運営していた施設(文化ホールやコミュニティセンター、体育館など)に民間企業も参入が認められることになった。競争に敗れたらまさに死活問題である。プレゼンテーションの成否が問われるのだ。依頼があれば損得抜きで応援をさせていただこうと思っている。

 時代がどんなに変わっても、変わらないものがあってもよいと思う。"浪花節でもいいじゃないか!"私は、義理人情の世界から離れられないようである。
 


栄光との訣別 2005年2月


 夜8時、寒風の中で露天の店じまいをしている中年男性が今日もいた。余程のことがない限り店は休まない。年中無休といっても過言ではない。私たちが結婚した30数年前は、近くに大手スーパーなど皆無だった。もちろん、コンビニなどもない。ほとんどが小さな商店だった。そんな中でスーパーKは、当時としては、食料品を専門に扱う大手として大繁盛していた。市内に2店舗を構えていた。しかし、大手スーパーIの出店で閉店に追い込まれた。今でもシャッターがおりたまま建物は残っている。もう1店舗もまったく同じ理由、大手スーパーTの出店で閉店。こちらの店は取り壊され、今は1階を駐車場にした2階建ての回転寿司店になっている。

 土地を転売したのか貸しているのかは分からない。もちろん、倒産による負債の有無も分からない。分かるのは、その回転寿司店の駐車場の1角を借りて、冒頭の男性が野菜や果物を広げて売っていることだけだ。そして、その男性が紛れもなくスーパーKの経営者だった人である、ということである。家族構成も私には分からない。

 今年も元旦から店を開いていた。かつて栄華を誇った自分の店の跡地で・・・。詮索することがどんなに失礼なことか分かっているのに、「どんな心境なんだろう」と推察してしまう。世の中には、さまざまな『偉さ』があり『偉い人』がいる。その男性に私は、到底真似のできない『偉さ』を感じる。そして脱帽してしまう。時折その露店を利用させていただく妻が言う。「いつも笑顔なの、買わない時でもありがとうございましたのひと言を忘れたことがないのよ」と。

 栄光と訣別した男性にもう一度栄光が訪れることを念じてやまない。
 
 


指導の本質 2005年1月

 明けましておめでとうございます。昨年は、「話の宝石箱」をご覧いただきありがとうございました。本年も、よろしくお願いいたします。先月の配信で、世界の閲覧順位が319,505番目であることをご紹介いたしました。これは過去3ケ月の平均で、毎週1回順位が更新されるものであることが判明いたしました。そして、週単位や日単位で閲覧できることもつい最近分かりました。今日現在の3ケ月の平均の順位は、212,716番目です。1週間の平均は、84,603番目でした。確実に読んでくださる方々が増えているようです。今年も頑張って配信させていただきます。気を良くして、「話し方必勝法」「今週の玉手箱」を増設いたしました。こちらも従来の「今月のアドバイス」と併せてご覧ください。

 私は、Y先生から多くの教えをいただいた。尊敬して止まない方であり大の恩師である。もう現役を退かれたが、氏からいただいた哲学は、私の中で脈々と生き続けている。この仕事に携わるようになって、幾度となくY先生のアシスタントとして講座を担当させていただいた。その折のY先生のアドバイスが、いまでも鮮明に耳に残っている。話し方研修では、スピーチ(プレゼンテーション)のトレーニングを繰り返して行なう。そして、私たちが、一人ひとりにコメントをする。研修が終えたあとは、反省会と称して一杯やるのが常であった。その席での話である。『コメントをする時に、声の小さい人に「もっと声を大きく出してください」うつむいて話す人に「聞き手と目線を合わして話してください」早口の人に「もっと間をとってください」こんなコメントは、コメントじゃないよ。そんなのは、イジメと言うんだ!』Y先生のひと言がズシンと心に響き、いっぺんに酔いが冷めた。

 核心を突いたひと言に、指導する本質を見た気がした。考えてみれば、そのとおりなのである。声がでない、アイコンタクトができない、間がとれない、その現象をコメントするだけでは適切なアドバイスにはならないのだ。そのためにどうすればよいのか、どんなトレーニングがあるのか、それを示してこそはじめて指導したことになるのだ。以来、短時間で効果の上がるトレーニングプログラムの研究・開発を真剣に考えた。いまでは、他社の講師もそのプログラムを取り入れて指導をしているようだが、生みの親は私と自負している。おかげさまで、プレゼンテーションの研修に大きな成果を収めている。

 このようなことは、部下や後輩の指導・育成や子育てにも言えるのではないだろうか。行為そのものの叱責や抽象的な指導だけでは人は育たない。具体的な方法を示すことが、説得では重要なポイントとなるのだ。いま私は、Y先生の教えを肝に銘じて仕事に励んでいる。そして、恩返しをしなければならないと思っている。そんな思いから「話し方必勝法」の配信を決意した。今年も、お役に立てるように精進したい。
 
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