2006年
2006年12月

 今年は異常な忙しさだった。ただただ走り続けてきた感じがする。仕事が多ければそれだけ喜怒哀楽も多い。その度に喜んだり・怒ったり、その温度差(落差)に悩まされる1年でもあった。この夏、ある自治体から講演を頼まれた。女性が多かったので講演の最後に『前向きに生きる女性』の話をさせていただいた。

 かなり昔のことである。ある研修先ですこぶる明るい女性と出会った。彼女が居るせいか、その班は研修が進むとともに活気がありとても盛り上がっていた。その女性に声をかけた。「あなたの明るさは素晴らしい財産ですね!どうしてそんなに明るく居られるんですか?」と。聞けば彼女の人生観を変えたのは息子さんだと言う。息子さんは難病で余命は長くて20歳くらいまでとのことだった。辛い話をさせてしまった。神を恨み涙で明けくれ、後ろ向きにばかり生きてきたという。しかし、息子さんの余命を宣告されたとき、本人の前では二度と暗い顔をするのはやめようと誓ったと言う。それから数年が経ち、今では他の人からも私が言ったようなことをよく言われるとのことだ。そんな話を気負うことなく淡々と話してくださったのである。とても感激したその話で講演を締めくくった。

 講演を終えると私にある女性が話しかけてきた。話しかけられた矢先に彼女の目からドッと涙が溢れた。驚く私に今度は泣き笑顔で語ってくれた。聞けば大事な娘さんを半月前に亡くされたとのこと。告知はしなかったそうだ。だから娘さんの前では精一杯悟られないように明るく振舞った、と言う。でも心の中でそれで本当によかったのか、告知すべきでなかったのか・・・そんな思いが娘さんの亡き後、彼女の心を苦しめていたようだ。休暇をもらいずっと休んでいたが、この講演だけはどうしても聞きたかったので、今日から出勤したとのことである。私にとってこんな嬉しいことはない。「先生のお話を聞いて、これでよかったのね、と自信が持てました!ありがとうございました」と深々と頭を下げ立ち去った。また、教えられ元気をいただいた。

 お嬢様のご冥福をお祈りいたします。いじめ問題などで自殺が絶えません。生きることの尊さを真剣に考えていただきたい、そんな思いを込めて本年最後の配信といたします。来年もよろしくお願いいたします。よい年末年始をお過ごしください。
 

ピリオド 2006年11月

 2000年の春、「ラーメンがおいしいわよ」と妻に勧められ初めてその店に入った。ラーメン好きではないが、本当においしかった。以来、その中華料理店Tでひたすらラーメンを食べ続けた。注文するのは『固ゆでタン麺』だけだ。他は一切注文しない。6年も食べ続けるとちょっとした具や味の変化でも舌が分かるから不思議だ。毎日のようにホテル住まいをしているので食するのは週末だけ。ただ、年間、概ねシーズンオフが3ヶ月ほどあるから、その時はその限りではない。3年ほど前から、年間どのくらい食べたかを正の字を書いて付けている。昨年はゆうに100食を超えた。28日(土)、いつものように食べ終えて店を出ようとするとご主人が追いかけてきた。「長い間、ごひいきにしていただきありがとうございます」と丁寧にあいさつされた。聞けば体力の限界から、(10月末で)店を閉めることに決めたとのこと。60代前半の年令にしては悔しい閉店だ。若い頃の無理が祟った、と言う。自分もそうだから、人ごととは思えない。翌29日(日)、最後の『固ゆでタン麺』の味を噛みしめながらいただいた。裏口に回って、ささやかだが、おいしかったお礼の花束を手渡した。ご主人の目頭に光るものがあった。

 (その日、30年以上つきあいがあり議員を6期勤めたMさんが、来年の出馬を見送った。私もいつまでも若くはないようだ。悔いのないようにしなければ・・・
 

再会そして出会い 2006年10月

 毎週のように飛行機に乗って、毎日のようにホテル住まいをしていると、日にちや曜日の感覚がなくなってくる。とにかくその日の仕事を無事に終えることを願い、時の流れるままに身をまかせている毎日だ。富山市の小料理屋でHさんと隣り合わせたのが7月末。宮崎市出身の方である。弟さんが宮崎市内の有名な鳥料理の専門店で働いているとのこと、訪ねてみることを約束した。8月上旬、宮崎市に仕事で行った。初日は定休日、次の日訪ねたら支店に異動とかで会えるまでに苦労した。タクシー代も結構バカにならなかった。

 先週は富山に居た。Hさんと出会ったお店が満員で他の店に入ることにした。偶然、その店のカウンターに彼の姿を発見した。弟さんを訪ねて良かった、と心底思った。義理を欠いていたら逃げるようにその店を離れたろう。Hさんも約束を守った私に礼を言ってくださった。そのお店に翌日も伺った。幸いカウンターが一席空いていた。お隣さんは二人連れ。軽くあいさつをして席に座った。途中で女性が声をかけてくださった。それがきっかけで失礼・無礼を承知で話の仲間に入れていただいた。とても美しく話し方にも品があり素敵な女性である。(ご両親の育て方が窺える雰囲気である)男性もとても紳士。しばらくして、ご夫婦であることを知った。久しぶりに見知らぬ方との大人の会話に満足した。帰り際に丁重に名刺を差し出してくださった。お店のご主人に尋ねると、何と地元で有名な会社の副社長夫妻だった。

 最近は、遅くても9時にはホテルに戻っている。昨年の秋に路上で占い師に手相をみていただいた。あまりにもよくあたったのでもう一度会いお礼を述べたいと思っていた。でも夜遅くならないと出ていないという。前述のご夫妻との会話の(いつもより遅くまで語り合った)おかげで女性占い師とも再会できた。来年も仕事は忙しくなりそうだ。

 (この日、30年以上家族で交友をいただいている方の奥様の突然の訃報を聞いた。再会があり出会いがあり、そして別れの夜となった。)
 

幸せのお裾分け 2006年9月

 遠方の仕事が多い私。珍しく今週は埼玉県と地元千葉県の研修(仕事)を担当いたしました。近くで仕事をしていると毎日自宅に帰ることができます。この歳になると、(毎週ホテル住まいの私にとって)たとえ古女房でも一緒にいられる時間が多いことは結構幸せなんだと思えるから不思議です。きょうは、千葉県銚子市で10時から12時までの講演。県内の保育士さんが対象でした。皆さん、とても熱心でとてもいい気分で4時に帰宅しました。

 夕食は行きつけの寿司屋さんでとることにしました。いつも繁盛しているお店です。カウンターの奥に40名程度の宴会ができる座敷があります。その座敷でパパとお子さんが飾り付けをしています。『誕生日おめでとう』の文字が私の目に飛び込んできました。どなたの誕生日?と気になります。続々と子どもさん連れの家族の輪が広がりました。大人半分、子ども半分で総勢30名程度の宴会が始まりました。小学校4年生くらいの女児が進行係です。(最近、研修をしていても女性がしっかりしています)男よしっかりせい!そんな思いで見ていました。『これから、バーバのお誕生日お祝いの会を始めます』女児が開会を宣言しました。大きな拍手がわきました。花束とプレゼントの贈呈、バーバのあいさつ、子どもさんのお祝いの寸劇とプログラムは盛りだくさんでした。カウンターで私たちジージとバーバは2時間もその光景をみていました。主催者のパパとママは食事もしないで裏方で懸命でした。当事者のバーバは涙を浮かべて幸せを噛みしめていました。ジージはバーバのその様子を嬉しそうに見つめていました。

 カウンターで私たち夫婦は幸せのお裾分けの気分に浸りました。自分が果たせなかったことへのお裾分け。そして、自分たちにはこのような席はないだろうな?・・・との思いからくるお裾分けのひと時でした。
 

縁はいなもの味なもの 2006年8月

 暑中お見舞い申し上げます。急激に暑くなりましたが、お元気でご活躍のことと思います。おかげさまで猛烈な忙しさです。配信が遅れてしまいました。ご了承ください。

 “縁はいなもの味なもの”という言葉がある。本当にそう思う。I市役所から初めて研修の依頼があった。打ち合わせの時間がとれないので無理をお願いして研修先まで来ていただいた。名刺交換の矢先、「先生には数年前に研修でお世話になりました」とあいさつされ驚いた。県の研修所でお会いした方だった。職位は総務課の課長補佐になっていた。そう言えば、先日伺った研修先では別館で研修をしていたら、S人事課長がわざわざあいさつに来てくださった。11年前、SさんはT市役所の研修担当者だった。その後、研修業務を離れ、係長、課長と昇進した。そして、4月の異動でまた古巣の人事課に課長として着任した。人とのご縁は大切にしなければ、とつくづく思う。数年前に研修に参加してくださったKさんは部長。Uさんは助役として活躍している。いまでも交友をいただいている。

 7月末に富山の小料理屋さんで隣り合わせになった青年がいた。弟が宮崎市内の有名な店で働いているという。「今月早々、宮崎にいくので」と立ち寄る約束をした。尋ねたらとても喜んでいただいた。
 

私のこだわり 2006年7月

 6月某日、T市役所の課長補佐級の研修を担当させていただいた。内容は2日間コースのディベート研修である。初日はプレゼンテーションの実習を徹底してトレーニングする。その折に、全員に『私のこだわり』というテーマで話をしていただいた。「靴下を履くときは必ず左足から」「ペットボトルのお茶を飲むなら伊藤園のお〜いお茶だけ」「休日が仏滅の日は外出しない」など、このテーマは、さまざまな『こだわり』が紹介されて会場も笑いに包まれる。

 そのときのKさんの話がとても印象に残った。「私のこだわりは、だらしのないことはしないことです。・・・」もの静かな口調でKさんは話し出した。「だらしがないとそれだけで住民から文句を言われます。そんなことで自分自身が不愉快になったり、無駄な時間(クレーム対応での)を費やすことは仕事にとって大きな損失になります。」Kさんはきっぱりと言い切った。身だしなみのだらしなさ、だらしない言葉づかい、時間や納期にルーズなどの例をあげて彼の話は終わった。私も同感である。あたり前のことだが、「さすが課長補佐!!」と心の中でエールを贈った。このような方が管理監督者でなければ役所に未来はない。
 

気は心 2006年6月

 私たち夫婦にもう両親はいない。自分たちが老いてきたせいか、もっとああしておけば、こうしておけばと悔やまれることが多い。若い頃は、自分たちの生活で手いっぱい。経済的にも苦しかったから仕方がない・・・・。でも、それは言い訳。結局は気づかう心が足りなかったせいと思う。

 5月14日(日)、神奈川県厚木市内のホテルにチェックインした。記帳が終えたら、女性スタッフが爽やかな笑顔で「高橋様、今月お誕生日でしたね。おめでとうございます!ささやかですが当ホテルからのプレゼントでございます」そう言って、きれいに包装したケースを手渡してくれた。かなり照れくさかったが嬉しかった。開けてみると靴下が2足入っていた。

 仕事が忙しく、週末の外食も楽しめなかったので、5月28日(日)行きつけの寿司屋に行った。常連客でよくカウンターで一緒する、「OさんとTさん(ともに36歳男性・独身)から、誕生日祝いにボトルを預かっていますよ!」と女将さん。ボトルをみたらメッセージが添えてあった。さっそく、携帯にお礼の電話をした。人様の親切が骨身にしみる。私も世間のお役に立たなければ・・・・
 

こどもの会話 2006年5月

 鯉のぼりが悠々と泳いでいる。5日は『こどもの日』。こどもが巣立った大人には、ちょっぴり淋しい『こどもの日』かもしれない。(子育て真っ最中のあなたもそんな時期はすぐに来ますよ)

 住まいの沿線に『北習志野』という駅がある。いつだったか電車の中で、隣に座った坊やが「ママ、なぜこの駅は汚らしいの(きたならしの)?」と聞いていた。以下は、以前読んだ“かあさん・あのね”からの引用です。●近所を散歩中 ノゾミ「おとこ おしえますだって」母「えっ、何?」(よく見ると「おこと おしえます」の看板でした。4歳・山形市)●夕飯の支度で、お母さんが大根の皮をむいているのを隣で見ていて、ユイ「ママ、だいこんごろしするの?」(お母さんは一瞬手が止まりましたが、だいこんおろしのことだとわかり、大笑いしました。3歳・仙台市)●車で祖父母の家に行く途中、会社にいるお父さんを迎えにいくため、いつもと違った道を走っていると、コタロウ「どこいくの?」母「お父さんを拾ってからいくの」コタロウ「えっ なに?」母「お父さんを拾ってから、おばあちゃんちにいくの!」コタロウ「・・・・おとうさん みちにねころんでいるの」母「ハハハ(大爆笑)」(5歳・豊田市)

 こどもの目線って楽しくなる。健やかな成長を願ってやまない。よい大人になってほしい。
 

討論にならない討論 2006年4月

 新年度がスタートした。4月1日が週末と重なり入社式は3日となるが、気持ちは歳をとっても新鮮になる。

 いろいろ問題も多かったNHKだが、新年度の番組に視聴者としては期待もある。(期待ある番組を提供してもらわなければ困る)テレビ番組表をみたら、夜の7時半から10時半までNHKで放送予定の『女の怒り・男の本音、男女共同参画というけれど』が目に留まった。仕事を調整して夜はその番組を見られるように段取りした。放送を見始めて、1時間も経たないのに他の局にチャンネルを替えた。ゲストは、猪口大臣を含めて5名。さまざまな分野の一般の方々が参加してのテレビ討論方式の番組である。多くの皆さんの意見は、実に「なるほど!」と感心させられるものばかりだった。しかし、ゲストのHとKの発言にはうんざり。この二人が討論をぶち壊しにしていると私は思う。聞く耳持たずヒステリックに叫ぶだけでは、『男女共同参画』など失礼ながらおぼつかない。

 「時間が限られているので、できるだけ多くの皆さんに発言を!」と司会者が言いながら、HとKの発言ばかりをやたらと映す。討論にならない討論、と私は思う。これでは、視聴率稼ぎの民放の毒舌番組と変わらない。もう少し、議論の本質を考えてほしい。
 

もそも価値観とは 2006年3月

 『昔は当たり前だったことが、まったく変わってしまう。つまりは、「価値観に絶対なものはない」ということだ。もちろん、習慣や因習、伝統がある中で、なかなか打ち破れないものもある。しかし、生き方に関しての価値観は、いまは、それぞれ自分のスタイルを通し、周りもそれを認める形になってきている。といっても他人の価値観をまったく理解できない人もたまにいる。』時代小説や歴史小説を手がける作家、北方謙三さんがお書きになった記事の一節である。

 その中で、他人の価値観をまったく理解できない人のエピソードがおもしろい。知り合いの女性がその一人。独善的な価値観で行動するから、いろいろ問題を起こし、北方さんも度々面倒な思いをさせられたらしい。自分の価値観を押し付けるから、交際中の男性ともうまくいかない。頼まれて相談に乗ったこともあった。結局、その男性と結婚し、海外に新婚旅行に出かけることになった。お礼にお土産を買ってきてくれるということになった。苦労させられたから、少しくらいならと思い、彼女の懐に負担をかけない程度の葉巻の銘柄をメモして渡した。旅行から帰ってきて、「お土産です」と持ってきた木箱を開けたら、ネクタイが2本並んでいるのでビックリ。「何これ?」と聞くと「葉巻と同じ値段でブランド物のネクタイが2本も買えたのよ。こっちの方が絶対にいいでしょ。」と彼女。『その女性の価値観は、そうなのである。煙になって消えてしまうより、ブランドもののネクタイの方が絶対にいいのである。僕は「ありがとう」と受け取り、未だにそのネクタイを締めていない。』と北方さんは、記事を結んでいる。『そもそも価値観とは』、を考えさせられた。そして、自分も気をつけなければと思った。
 

書きたくないけれど!! 2006年2月

 本来なら、この宝石箱には入れたくない。そして、書きたくもない。だけど書かざるを得ない。今回は複雑な思いで綴る話である。最近、見ること聞くこと、実に不愉快なことが多い。耐震偽装問題では、責任の擦り合い・言い訳ばかりだ。被害者の救済はもちろん大切である。だが、政府の救済処置に納得できない人はたくさんいるだろう。公平性という視点からみれば、もっともっと議論しなければならない。ライブドア問題も似たり寄ったりだ。小泉総理はじめ某閣僚も言い訳ばかりだ。マスコミ批判に問題をすり替えてごまかそうとする。言語道断である。BSE問題とて、全く説明責任を果たしていない。

 『●●イン』というビジネスホテルが、近年、凄い勢いで各地にオープンしてきた。その会社が、建築確認がおりた後に勝手に設計変更した、として問題になっている。その会社のN社長の釈明記者会見を聞いていると、世も末だと思えてくる。「まあ、いいかと思った」「面倒くさい」などと笑いながら話をしている姿に下品以外のなにものもない。揚句、「甘かったのかもしれない」の発言に「甘さではなく、やましさではないですか!」と突っ込まれると、しばらく首を傾げた後で「考えてみる」とのたもうた。耐震偽装で被害者となり、泣く泣く閉鎖に追い込まれた皆さんに恥ずかしくないのか!!つぶれるべきは●●インホテルではないのか!

 世の中、大なり小なり善と悪が同居している。多くの大人は、そのことを肌で感じ免疫があるからまだ救われる。だが、馬鹿な大人が子どもに与える影響は、はかり知れないものがある。そのことを真剣に考えるべきだ。このままだったら、言い訳ばかりする子どもが蔓延してしまう。『真剣だと知恵が出る 中途半端だとぐちがでる  いいかげんだと言い訳ばかり』噛み締めたい言葉だ。
 

鍛錬そして年輪 2006年1月

 明けましておめでとうございます。毎月1日の配信日と元旦が重なりました。とても良い前兆のような気がいたします。本年もよろしくお願いいたします。

 昔と違って大晦日の夜がつまらなくなった、と感じるのは私だけだろうか。『NHK紅白歌合戦』を見て除夜の鐘を聞く。それでようやく新年を迎えた気分になったものだ。一昨年の紅白歌合戦、終わりの1時間程度だけ見た。昨夜は、数分しか見なかった。おもに、テレビ東京(12チャンネル)『年忘れ にっぽんの歌』を見ていた。この番組は、俗に言う懐メロを中心にした特番である。“甦れ!熱き青春時代・・・昭和の名曲全81曲70人熱唱”と銘打っていた。暇つぶしに見ている感は否めないが、この番組のほうが、私は紅白より良かったと評価する。

 「岸壁の母」を歌い継ぐ二葉百合子さんの熱唱が特に印象に残った。この歌のモデルとなった母親のいせさんは、戦地からの息子の生還を信じ続けながら、昭和56年に81歳でお亡くなりになった。(息子さんは中国で生きているらしい?)二葉百合子さんは、いまでも現役の歌手である。昨秋、芸能生活70周年記念特別公演をおこなった。昭和6年生まれ、今年75歳になる。(72歳との記事もある)聞く限り、声量の衰えは感じない。毎日ではないが、仕事の2日前からは必ず発声練習をして、楽屋でも本番の直前まで声を出して仕事に臨むと言う。仕事前は、喉を刺激するようなものは一切口にしない気の使いようだ。声帯に来る風邪には、十分な用心を欠かさない。1年間歌を休業した演歌歌手の坂本冬美さんは、テレビで大先輩の二葉百合子さんが歌う姿に感動し、勇気づけられたそうである。そして、二葉百合子さんの発声練習指導を受け、見事復帰を果たしたそうだ。石川さゆりさんや原田悠理さんも、その指導を受けているとのことだから驚く。

 日々、鍛錬。そして、年輪の重み。生き方の指針とエネルギーをいただいた。私も精進せねばと思う。
 
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