2007年
維新 2007年12月

 「忙しい、忙しい」と言っているうちに師走を迎えた。不思議なことに、忙しいからこそ時間の活用もうまくなる。1日は24時間ある。かなりのことはできる。仕事の合間によくレンタルビデオを観る。もっぱらヤクザ映画が中心だが、それも飽きたので、11月は『大奥』と『新撰組』の鑑賞に没頭した。

 『大奥』は春日局が主人公。徳川幕府を絶やさないために生きた女性の生涯が綴られている。一方、『新撰組』は近藤勇・土方歳三などが主人公。こちらも終焉の徳川を守ろうとする男たちのドラマである。開国か攘夷か。幕府打倒、新政府樹立。坂本龍馬・西郷隆盛・桂小五郎などの志士たちが維新を賭けて熱き戦いを繰り広げる。遠い昔のようで、実はそんな昔ではない。だから不思議だ。

 3,232あった自治体は平成の合併で半分近くになった。来年の7月1日時点で1,788自治体数となる。私には「廃藩置県」「明治維新」の再来のような気がしてならない。日々、自治体の研修で全国を廻らせていただいている。私には時代のうねりの凄さを肌で感じることができるが、合併を経験しない自治体の職員はそうでもないようだ。自治体数はやがて1,000になるそうだ。対岸の火事ではない。気を引き締めて新年を迎えたいものである。

 今年も宝石箱に12話を納めることができました。生かさせていただいている喜びを感じます。来年もよろしくお願いいたします。よい年末年始をお過ごしください。
 

ユーモアお母さん 2007年11月

 どんなタイトルにするか随分迷った。「素敵なお母さん」「こみあげる笑い」「ユーモアとは」「爆笑」etc。悩んだ挙句、『ユーモアお母さん』に決めた。決めてから念のためユーモアの定義を調べた。定義がまた結構むずかしい。気に入った意味言葉がようやく見つかった。気がきいて「上品」なこっけい味。「センス」のあるおしゃれ。諧謔(かいぎゃく:面白みのある戯言)。おかしみ。なかなかいいフレーズである。

 先週、私はM市にいた。そこでの研修は今年度5回目になる。観光ではなく仕事だから辛い面もあるが、好きな街なのであまり苦にならない。人情あふれるとてもよい街だ。研修の中で『私の失敗談』と題して、参加者の皆さんに1分間スピーチをしていただいた。

 Uさんは今流に言えば「いけ面」の好青年。20代後半か?7年前、彼は恋に落ちた。就寝の前は必ず『おやすみ・・・』のメールを欠かさなかった、と言う。その夜も彼は心を込めたメールを送信して寝につこうとした。その時、寝室のドアが開いた。びっくりして起き上がるとそこにお母さんがいた。そして、言った。『おやすみ・・・私も愛しているは』と。立ち去るお母さんの足音を聞きながら、彼は唖然・呆然とした、と言う。ユーモアお母さんの話に会場から大きな拍手と笑いが起こった。
 

おかげさまで
2007年10月

 夏がくると、冬がいいという  冬になると、夏がいいという  ふとるとやせたいという、やせるとふとりたいという  忙しいと閑になりたいという  自分に都合のいい人は善いひとだとほめ、自分に都合が悪くなると悪い人だとけなす  借りた傘も雨があがれば邪魔になる  金を持てば古びた女房が邪魔になる  世帯を持てば親さえも邪魔になる  衣食住は昔に比べりゃ天国だが上を見て不平不満の明けくれ 隣を見て愚痴ばかり  どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがいい  一体自分は何なのか、親のおかげ先生のおかげ、世間さまのおかげのかたまりが自分ではないか、つまらぬ自我妄執(じがもうしつ)をすてて  得手勝手(えてかって)を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう、おれがおれがを捨てて おかげさまで おかげさまでとくらしたい。

 作者不明の言葉であるが、私の心を打ってやまない。未熟な私にはまだまだほど遠い境地である。多くの方々に読んでいただきたく、無断掲載をお許しいただきたい。
  

元気をいただく 2007年9月

 長梅雨が明けたと思ったら今度は猛暑の連続。さすがに8月の仕事は辛かった。5月の連休明けからフル稼働で疲労もかなり溜まっていた。暑い夏を乗り切れるかが心配だった。8月6日の週と20日の週はK市にいた。そのK市で「市民交流福祉センター」の10階にあるプールを利用させていただいた。(最近は研修が終えた後プールでウオーキングをしています)この施設は、障がいをお持ちの方や高齢者の皆さんの相談窓口やサポートなども含めた総合施設となっている。

 ここのプールは天井の開閉ができる。入ってくる風の心地よさを感じ、夕陽が沈むのを眺めながらの遊泳は格別である。利用者の多くが障がいをお持ちの皆さんだった。車椅子に牽かれた男性が奥さんの介助を受けてプールに入り懸命にリハビリをしている。全身麻痺の女性(中学生?)がプールのスタッフの介助を得てプールに入りおばあちゃん(?)に抱かれた状態で足を必死に動かしている。時々、気持ちよさそうに、嬉しそうに見せる笑顔がとても印象的だった。側でおばあちゃんも笑顔になっている。それを眺めている私も笑顔になっている。片手、片足の無い方も楽しげに談笑しながら泳いでいる。一緒に泳いでもスピードに追いつけない。(私はクロールなら少々泳げます)残念。2週間、同じ方々と何回もお会いした。多くの皆さんから頑張る元気とやる気のエネルギーをいただいた。心なしか穏やかな気持ちで研修も担当できた。
 

第一印象が良過ぎると 2007年8月

 参議院選挙が終わりました。結果はともかく話題の多い選挙であったことは事実です。民主主義の根幹を成すのが『議会制』ですから、もっともっと国民は政治に関心を持たなければならないと思います。

 総務省が選挙前々日(27日現在)に発表した期日前投票者数は、881万9091人に上りました。私たち夫婦も期日前で投票を済ませました。その投票会場に行って、まず、受付の職員の感じの良さに驚きました。とても爽やかで気持ちの良いあいさつで迎えてくださいました。誓約書を渡されそれを記入して次に進みました。候補者名での投票券を渡され投票が済むと2回目の比例区の投票券を受けとります。そして投票。気のせいか、感じの良さは順番を重ねるごとに少しずつ低下していくような気がします。(錯覚・誤解?)投票を終えて帰るときのあいさつは何となく事務的でした。

 第一印象はとても大切です。ですからホテルなどはフロントに接客に長けた人を配置するのでしょう。でも、その印象が良すぎると逆に他が悪く見えてしまう危険もあります。接客サービスは、平均していてバラツキがないことが不可欠な条件となります。
 

メタボ対策 2007年7月

 メタボ=正式にはメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)という。4月に人間ドックを受けた。体重の増加とお腹の出っ張りはかなり気になっていたが、それでも安易に考えていた。「痛風予備軍」「糖尿病予備軍」「総コレステロール値は正常の人の4倍」、と検査結果は最悪。

 「本気でメタボ対策を講じないと大変なことになる!!」とお叱りを受けた。酒を止めれば効果はてきめん、というが所詮これは無理。でも早死にするわけにはいかない。野菜を豊富に食べ、油モノ・肉・魚卵類を極端に制限。時間に余裕がとれたらプールで水中ウオーキング。3ヶ月が経過したが、効果が見え始めて嬉しくなる。いまのところ、4〜5キロ減量。しかし、お腹周りはまだまだダメ。『継続は力なり』、もっと努力しなければ。

 それにしても、老若男女、スポーツジム・プール・ジョギングなど皆さん懸命に頑張っている。脱帽である。
 

トラブル雑感 2007年6月

 5月27日(日)、全日空のコンピュータートラブルで空の便が大混乱した。皮肉にもその渦中に私もいた。4時25分初の富山便が飛ばない事態となった。羽田空港内はどのカウンターも長蛇の列。とにかくどうすればよいのか情報が入らない。係員に聞いても返答はバラバラ、呆れると同時に腹が立つ。一人だから一度並んだらその場を離れようにも離れられない。他のカウンターからこちらのカウンターに移動して並んでいる人もいる。私自身、このカウンターになぜ並んでいるのか分からない。その説明を求めてもいい加減な応対ばかり。結局、1時間半並んで得た結論は新幹線で移動する手段しかないことだった。

 人の命を預かる交通会社にもかかわらず、危機管理のずさんさはひどいものである。よく偉そうな顔ができるものだ。一流企業の名が聞いて呆れる。「チケットは後日返金するので」と郵送用の封筒を手渡されたが、その封筒の料金受取人払いの有効期間が切れていた。にもかかわらず、ボールペンで「3月31日まで」の文字を消して手書きで9/30と側に書いてあった。こんな封筒が郵便局で受け付けるはずがないと思ったが案の定だった。(アホか!!)

 結局、新幹線で越後湯沢へ。そこで乗り換え特急で富山に着いた。夜10時を過ぎていた。体調が悪かったせいか怒りが頂点に達していた。それ以上に、自分自身の決断力の無さに腹が立った。さっさと見切りを付けて次の手を考える。その決断力の欠如を身に知らされる1日となった。
 

正論を言うと嫌われる? 2007年5月

 親子の血は争えないものだ。息子と私は変なところが似ている、と妻がよく言う。笑って聞き流すがその通りなのだ。

 「親父、おかしいと思わないか!」と息子がよく言う。怒っている訳を聞くと実に筋が通ったことを言っている。ディベート研修の講師でもある私は、身びいきではなく彼の言い分が正論だと思う。私が彼の年齢だった頃、ひたすら波風を立てないことに懸命だった。でも息子は違う。先日も「警察の態度(対応)がおかしいから責任者(署長)に抗議に行ってくる」と言っていた。

 その時私は、「行って来い、何なら俺も行こうか!」と言った。以前の私からは考えられない言いぐさだ。ここ1、2年で私は変わったと思う。波風を立てないことに懸命になることをやめたせいだろう。つい先日も、地元郵便局の責任者が謝罪に自宅まで来た。(あることで局側が非を認めて)それでも、どちらが賢明かはまだ分からない。決していい気分にはなれないからだ。日本では、なかなか正論が通らない。まだまだ、正論を言うと嫌われる社会のようだ。

 ただ一つ分かるのは、正論が分かる賢人を大切にしたいと思う自分がいることだ。今日の文章はどうも歯切れが悪い。正論を言うと嫌われる、そうまだ心の底で思っているせいだろうか?

 『知っ得豆知識』を増設いたしました。毎週水曜日配信です。自治体情報をお届けいたします。ご期待ください。
 

塵も積もれば 2007年4月

 私は小銭入れを持っていない。コンビニやスーパーで買い物をする場合もついついお札を出してしまう。ホテル住まいが多いので小銭を貯めないようにしているが、それでも小銭は結構貯まる。自宅に戻ると100円と50円を除いて小銭専用ケースに入れることにしている。その週間が20年くらい続いている。

 兄弟が持ち回りで新年会を開いている。お互いの子どもが小さかった頃、箱の中に1年間で貯まった小銭の中に50円や100円玉を加えてお金の掴み取りをさせた。お金を粗末にしているとお叱りを受けそうだが、子どもたちは大喜びだった。その子たちが大きくなった十数年前から掴み取りは中止。以来、貯まった小銭が中程度のバケツに2杯半。銀行に持って行くのも気恥ずかしかったが、意を決して運び込んだ。手間はかかるがそこは客商売。嫌な顔もみせずに30分も計数作業をしてくれた。待つ間、妻とどの程度の金額になるかを賭けた。私は2万円くらい、妻は3万円くらい。驚くことに〆て64,062円となった。まさに『塵も積もれば山となる』である。蛇足だが、弊社は既製のテキストは使用しない。全て手づくりである。その原稿は、ほとんど私が時間を割いて作成している。こちらも塵も積もれば、である。個人的な企業だがその量は大手に引けをとらないと思っている。

 人生も一朝一夕にしてならずか!?(よい塵を少しずつ積もらせよう!
 

学ぶ姿勢 2007年3月

 平成17年6月の介護保険法の改正に伴い、高齢者の生きがいと健康づくりに関する事業が介護保険の枠組み内に取り込まれた。その中で、高齢者が自主的に介護予防に関する活動(つまり、健康づくり活動や生きがい活動など)を充実させる方向が示されている。

 その一環で『地域リーダー養成研修』の依頼を受けた。対象者は65歳から80歳程度。9時から5時までの2日間コースの研修である。仕事をお引き受けしてから後悔した。私もかなりの歳だが皆さんから比べたらまだ青二才だ。12月からテキストの作成に着手したが遅々として進まない。ようやく完成したのは2月の10日少し前。実施日の1週間前になってしまった。やること(きちんとした準備)だけはやった。背伸びをしてもはじまらない。“分相応、肩の力を抜いてやれるだけのことをやる”、そう自分に言い聞かせて当日を迎えた。平均年齢は男性71歳、女性69歳である。地域でサークル活動の役員している方、今後サークル活動を立ち上げたい方が対象者だ。定員は25名に絞っていただいた。

 テキストに高齢者の特徴という項目を入れてある。隣同士でおしゃべりをする、なかなか結論がでない、押し付けを嫌うなどがその一例である。研修が進むにつれて私の特徴分析が現実のものとなる。5歳刻みで学習スピード、理解スピードなどを観察した。5歳の違いは大きい。かなりの差がつく。将来の自分の姿を投影してすべてが反面教師となる。よい研修担当の機会をいただいた。さすが戦前生まれ。根性と忍耐力が据わっている。私の研修は若い人にとってもかなりキツイことで有名だ。しかし、誰一人眠る人もいない。本来なら毎日昼寝を欠かさない年齢だろう。意欲的な姿勢に脱帽である。無事に研修が終えた。お互いに疲労はピークだった。でも、なぜか心にさわやかな風がふいていた。皆さんも私も笑みがこぼれていた。
 

笑う人あり、泣く人あり 2007年2月

 1月29日から2月2日にかけて、研修のため石川・福井両県を廻った。1月、金沢に雪が降らなかったのは100年ぶりのことと聞いた。雪に包まれた兼六園の眺望を目当てに(楽しみにして)訪れた観光客にとっては最悪だったとか。ご存知のとおり、全国的な暖冬である。距離にして日本全体が三百数十キロ南にずれた格好だという。ずれた距離を緯度に換えると東京の位置が宮崎の位置と同じくらいになるらしい。暖かいわけである。

 1月中旬、久しぶりに故郷(山形県)に里帰りした。豪雪地帯にもかかわらず十数センチの積雪しかなかった。雪が多いと一冬で数回、屋根の雪降ろしをしなければならない。高齢者には無理な作業。業者に頼むから1回に付き10万円程度の出費となる。暖房費も馬鹿にならない。だから、親戚中が今年は大喜びだった。雪で通常は閉鎖となるゴルフ場は営業ができて笑いが止まらないようだ。一方、スキー場や雪祭りを企画している観光地はその逆で、雨乞いならぬ雪乞いまでして積雪を待っている。氷が張らないためワカサギ釣りを見込んだ地元のさまざまな観光業者も泣かされているようだ。人生までが気候に振り回される世の中である。最後に、除雪費が大幅に浮いた自治体は、その財源を有効に転用して(あるいは貯蓄して)今後に生かしてほしい。
  

みのもんた氏から学ぶ 2007年1月

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 3年前に還暦を迎えたみのもんた氏。昨年は年明け早々に腰の手術を受けた。しかし、入院も短期間で済んで今では元気で大活躍。「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス記録に認定されるほどガンガン働いている。『毎晩銀座のクラブをはしごするから、帰宅はほとんど深夜12時過ぎ、毎朝3時には起きる(TBS朝の帯番組“朝ズバッ!”を担当のため)から、睡眠時間は1時間の日もあるね。それでも毎朝、「あーよく寝た」ってスッキリ目覚める。「1時間も寝られた」って思うわけ。これも“ゆとり”があるからじゃないかな。』「人生の本番は60歳から。肉体的には衰えるけど、焦りが消え、そのぶん精神的なゆとりが生まれる。うまくしたもんだよね。これ、大きな強みですよ。」(本人の弁)。

 彼は文化放送の人気DJだった。しかし、若手のDJが次から次に出てきて「あれれ!」と思っているうちに30代半ばで出番が減ってしまった。会社で居場所を失い販売促進部に回されたり、スーパーの軒先でコーヒーを販売した時期もあったという。事実上の左遷だった。そんな彼は、DJが“好き”だったので会社に辞表を叩きつけてフリーアナウンサーの道を選んだ。結局、フリーでは鳴かず飛ばず。家族の生活を支えるために父親の経営する水道メーター会社に就職し、営業マンとしてライトバンで全国を走り回った。好きで始めた仕事ではないけれど、ここで初めて“楽しむ”ことを知ったそうだ。『“好き”と思うと、どうしても我が出ちゃうんだね。「オレがオレが」になっちゃって息切れしちゃう。長続きしない。でも、“楽しむ”とゆとりが生まれる。ボクの周りで出世しているサラリーマンは皆、仕事を楽しんでいるよ。』(本人の弁)。

 40代半ばに差しかかった頃、「おもいッきりテレビ」の司会が舞い込んできた。その番組が今や20年の長寿番組となった。“楽しんで仕事をしているから”だろう、と彼は言う。楽しむと我が消えてゆとりができる。難しい課題だが挑戦しなければと思う。
 
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