2008年
一筋に、懸命に 2008年12月

 Aさんと出会ったのは、私が研修講師としてデビューして、まだ間もない頃と記憶している。研修の仕事が今年でまる20年になるから、かれこれ17、8年間ご交友をいただいた。心から感謝申し上げたい。研修の事務方はもとより、研修担当も努めるから本当に大変だったと思う。辛いことも多かったろうに、笑顔がいつも絶えなかった。

 研修に参加する皆さんに最近私は言っている。「研修会場にお客様気分で来ないで!」と。人が生まれるまで“十月、十日かかる”というが、研修も真(まさに)にそれと同じだ。企画の段階からさまざまな経緯と準備を重ねて研修の当日があるのだ。Aさんは私以上に長い年月、一筋に・懸命にその道を歩まれてきた。研修を担当していると、見えなかったことが見えてくる。そのAさんから『研修道』の数々を教えていただいた。Aさんは今月定年退職される。「ここ数年は、不真面目な参加者には厳しく接してきました。」と爽快に語る姿が印象的だった。講師だけが研修を取り仕切っているのではない、私たちはそのことを真摯に考えなければと思う。Aさんの、一層のご活躍とご健康を祈念いたします。

 本年最後の配信となります。来年もよろしくお願いいたします。よい年末年始をお過ごしください。


入庁の動機 2008年11月

 A市役所の3年次研修を担当させていただいた。職員は総勢25名。一人の欠員もなく研修がスタートした。研修名はプレゼンを中心とした『実践・話し方講座』。従って、参加者は大勢の前で幾度となく話をすることになる。トレーニングは結構厳しい。

 研修の中で、東消防署の消防隊員である齋藤 穣さんが入庁(隊員となった)した動機を語ってくれた。彼には小学校からの親友がいた。当時、バレーボール部で活躍した仲間でもある。中学は別だったが、高校でまた一緒になった。共に学べることが嬉しかった。しかし、不運なことに親友を悲劇が襲ったのである。高校2年の時だった。彼の家が火に包まれた。懸命の消火が続いたが焼け跡から親友の遺体が発見された。齋藤さんは現場を目の当たりにした。隊員の行動の一部始終が目に焼きついた。親友を失った悲しみの中で、一つの決心が漠然と芽生えていた。「将来は消防隊員になろう!」と。

 彼は迷うことなく採用試験を受けた。そして、大学卒業と同時に入庁して隊員となった。いま、25歳。天国の親友から見守られて一生懸命活躍している。(合掌)
 

下町の人情 2008年10月

 福岡の某市に住むKさんから電話があった。「結婚式のため上京するのでぜひ会いたい」という。会う約束はしたが、どこで食事をするかが頭痛の種だ。「友人ならその辺で適当に」と割り切れるがそうもいかない。泊まり先の友人も一緒に同行したいとのことだからなお更だ。迷ったあげく、丸の内ビル35階のレストランを予約した。

 雨にけむる東京の夜景を見ながらの食事もいいものだ。友人はあまり飲めないが、こちらは二人でシャンパンとワインを1本ずつ空けてしまった。明日は仕事がないと思うと気が楽になる。大いに盛り上がり、「今度は東京の下町へ案内して!」ということに。事務所のある江東区の木場や門前仲町はまだその風情が残っている。タクシーで10分の距離。足を延ばすことにした。飲み屋はたくさんあるが知っている店はほとんどない。店先の女性に「お金に安心して飲めるスナックはありませんか?」と尋ねると、食事もしていないのに「分かりにくいから・・・」、と小雨の中を通り1本向こうにあるお店まで道案内してくださった。(感激!)スナックはご夫婦で経営している。飲むほどに酔うほどにお店の皆さんと意気投合。カラオケですっかり盛り上がってしまう。Kさんはお店のママと携帯のアドレス交換までしている。ママが言った。「貴方たちが気に入った。今日は私の奢り。店じまいして食事に行こう!」と。

 冗談かと思っていたら本当だった。散々ご馳走になった上、釜飯のお土産までいただいてしまった。東京にもまだこんな人情がある。そう思っていただいたKさんに、それが何よりのご馳走だったと思う。(お店の皆さん、案内してくださった女店員さんに深謝)
 

心の温かさ 2008年9月

 この夏の猛暑にはさすがに閉口した。早く涼しくなって、と期待していたら、今度はゲリラ豪雨に再三見舞われる。例年のことだが、5月の連休明けから、猛烈な忙しさで日々が明け暮れていく。きっと体も悲鳴を上げているのだろう。1週間ほど前から右膝の痛みに悩まされている。仕事中は気を張っているせいかまだ良いのだが、終えた途端に足を引きづらなければ歩けない。

 そんな状態でK市から移動してG市に向った。どの駅でも利用客が少なく長時間待機しているタクシードライバーの皆さんがたくさんいる。(長いときは2時間も待つそうだ)G駅もそうだった。宿泊のホテルは駅のロータリーから見える場所にある。早足で歩けば3分とかからない。タクシーに乗せていただくのは、さすがに気が引ける。それでも無理に歩いてこれ以上悪化させたくない思いもある。しばし躊躇したが、事情を説明して無理を通させていただいた。660円の値段で文句も言わず、私の体を気遣いながら気持ちよく乗せてくださった。2日間滞在したが、どのドライバーさんも心が温かかった。
 

京成成田新高速鉄道線 2008年8月

 未買収地2件の収用が決定。明け渡しの目処がついた。東京都心からアクセス時間の長い成田国際空港への時間短縮を目的に工事が進められていた京成成田新高速鉄道線が2010年春に開業する。同年、成田国際空港の平行滑走路北延伸工事が完了することから工事が急がれる。

 完成後は、現在最速で51分かかる日暮里駅〜空港第2ビル駅間が最速36分と現行より15分短縮される。沿線には北総ニュータウンがあり、新しい街づくりが同時進行中だ。みるみると変貌を遂げている。自然を残しながら便利・快適を目指す、将来に禍根を残さない開発を期待したい。


三冊のノート 2008年7月

 周期的に鬱に襲われ続けた作家・五木寛之氏は、三冊のノートを書き続け、都度、その苦難を乗り越えたという。最初のノートは『歓びノート』。一日のうちに、なにか一つ、これはうれしかった、ということをみつけて記録する。「うれしかった」と必ず一行の最後をしめくくるのが特徴。「きょうはネクタイが一度できれいに結べて、うれしかった」のように。うれしいことがみつからなくても無理してでも探して記録することが大切だ。60歳過ぎた頃、鬱に悩まされたときにつけたのが『悲しみノート』。最後の行は「かなしかった」でしめくくる。不思議なことに、悲しみを表現することで、かえって気持ちが開放された気がしたという。「よろこぶこと」と「かなしむこと」は、両方とも心の大事な働きなのだと氏は語る。70歳を過ぎた頃、三度目の鬱に襲われる。前述の二つのノートはあまり役に立たなかったそうだ。そこで生まれたのが『あんがとノート』。北陸の方言では「ありがとう」を「あんがと」と言う。このノートを長続きさせるコツも同じで、特別に何もない日には、「一日、無事に過ごせて、ありがたい」と書く。

 経験者の苦しみから生まれた『三冊のノート』。若い人には『歓びノート』、中高年には『悲しみノート』、老年期には『あんがとノート』を氏は勧めている。
 

大丈夫ですか!? 2008年6月
 
 電車内での光景がやけに殺風景になったような気がする。寝ているか、携帯電話に夢中になっているか、のどちらかが圧倒的だ。座っている一列全員が携帯に向っている光景は実に奇妙でゾッとする。

 車内アナウンスが終着を告げたその時、何の弾みか、立っていた中年の男性が手に持っていたカバンを床に落としてしまった。瞬間、カバンの中身が散乱してしまった。おそらくカバンを開いて、読んでいた本でもしまおうとしたのであろう。男性は大慌てで散らばった書類などをカバンに詰め込んでいる。その様子がいかにもバツの悪そうな恰好だ。周りの人も(私も含めて)「野暮な人・・・」そんな視線で見ている。その時である。4、5歳の坊やが叫んだ。「大丈夫ですか!?」と本当に心配げに大きな声で。男性が苦笑いしながら「ありがとう」と言った。車内の空気が笑みに変わった。


昭和の缶詰 2008年5月
 
プールで1時間ほど水中ウオーキングをしたあと、同館内の露天風呂に入って一息つく。山林の中に建つから美しい若葉がとても目に爽やかだ。まさに至福のときである。「みどりの日」は昨年から5月4日になり、「みどりの日」だった4月29日は「昭和の日」となった。(知っていましたか?)

 2回目を迎えた「昭和の日」を記念して、近くの店からレンタルビデオを借りてきた。ビデオのタイトルは『昭和の缶詰』。ニュース映画でたどる世相・風俗がコンパクトに収められている。30年代は今の中国と似ている。建物などは中国の方がずっと豪華だが、オリンピック景気などはそっくりだ。40年代終わりのオイルショックと狂乱物価は、これから再現しそうで恐ろしい。何だか遠い昔のような気がするが、ベータマックスとVHSが世に出たのは50年初め。今はほとんどがCD化。デッキがなければカセットテープはもう見られない。インベーダーゲームという言葉も懐かしい。昭和は64年1月の天皇崩御で幕を閉じるが、まだ現在ほどの急激な変化は見られない。“古きよき時代”、そんな匂いがする。

 平成に入ってから、(特に10年以降)世の中がどんどん変わったような気がする。技術の進歩は豊かさをもたらしたが、失ったものも大きいような気がしてならない。ゴールデンウィーク、人混みの嫌いなあなたに、ぜひお勧めしたいビデオである。日本の行く末を考えさせられる。
 

男二人旅 2008年4月

 仕事では経験がある。しかし、プライベートでの男二人旅は、長い人生の中でおそらく初めてだ。3月は1年の中で一番余裕がある。だから目標は“なるべく多くの方とお会いする”、こととした。1年に1〜2回交友を深めているAさんもその一人。酒が入ると私の『友人、知人の自慢話』が始まる。彼には友人・知人の心意気の素晴らしさをこれまでも何度か聞かせてきた。飲んでいるうちに、JRのキャッチフレーズのように結構遠いが、「○○に行こう!!」、と話が決まった。旅の目的は人とお会いすること、相手の都合も考えずに失礼を承知の全く急な二人旅となった。

 現地でレンタカーを借りて三つの県を2日かけて約600キロ走った。観光が目的ではないので日中は足の向くまま気の向くまま温泉浴三昧。最初の夜Bさん・Cさんが時間を割いてくださった。とても嬉しかった。本当にいい方たちだ。会話も弾んで楽しかった。次の日、Dさん・Eさんとは夜中まで飲んだ。Eさんの青春哲学に忘れていたものを思い出させてもらった。翌朝、「朝採れたての刺身を用意しておくので」と言って下さるので、図々しくEさんの実家におじゃまさせていただいた。ご両親の歓待に舌鼓を打つ。その足でDさんの家にも立ち寄らせていただいた。彼と出会った頃、それはそれは可愛い赤ちゃんだった(女の)子が、今月、中学に入学する。お兄ちゃん二人もすっかり頼もしくなっていた。奥さんの美しさも変わらない。年度末で忙しいのに、Dさんの運転で秘湯の露天風呂を満喫した。仕事が入っていたのに申し訳ないことをした。

 Aさんは私の素晴らしい仲間を絶賛してくれた。急なわがままを聞き遂げてくれた彼らに私は心底あり難く思い、そして自分は幸せ者だと思った。みんな研修をとおして知り会ったた方々である。
 

看板娘 2008年3月

 ようやく仕事が一段落した。寒さのせいもあり、2月はかなり仕事が身に堪えた。それでもホッと一息付ける余裕と場所があるからまだ幸せだ。

 仕事先は少し離れていたが(電車で20分程度)、神戸市三宮にホテルをとった。その近くに、今年の6月でオープンして3年になる寿司割烹店Aがある。店主はまだ若い(30代?)のに、なかなかの頑張り屋だ。固定客をしっかりと掴んでいる。私はその店の年に一度の客。この店にすこぶる愛想のよい娘(Eさん)がいる。年齢は20歳前後か?昨年の8月に伺った際に、「まさに看板娘の呼称がピッタリだ」、と私は思った。とにかく接客にそつがない。それでいて媚びも売らない。それが実にいい。だから、今回も立ち寄った。

 次の日は仕事が終えてから神戸空港から飛行機で帰る予定。帰る際にEさんと賭けをした。「搭乗まで待ち時間があるので、領収書の宛名を聞かずに会社名を書けたら、明日また寄らせていただく」と。「覚えているはずがない」と思うから賭けになるのに、「AOI企画さんですよね!」とEさん。さすが看板娘だ。翌日、搭乗時間の直前ギリギリまで、またその店で飲んだ。外は寒かったが心はほのぼのとしていた。
 

愛妻の日 2008年2月

 「愛妻の日」があると聞いて驚いた。昨日がその日。1月の1を「愛」と読ませ、31日を「妻」と読んで「愛妻の日」。なるほど、と感心した。

 今月はかなりやっかいな講演を控えている。笑われそうだが、構想からレジュメの作成までに40時間以上の時間を要した。昨日ようやくその作業(事前準備)が終えた。仕事を3時で切り上げ、プールで1時間程度水中ウオーキング。そのあと同じ館内にある露天風呂に入ってのんびりした。早めの夕食は寿司屋で。今月も真面目に働いたご褒美と理由がもう一つあった。そこの店主がお亡くなりになって一周忌が過ぎたのであいさつを兼ねて訪ねたのだ。(還暦前?の若い旅立ちだった)

 夜の8時ころ店を出た。家まではゆっくり歩いても5〜6分。「こうして一緒に寿司屋に来られるのはあと何年くらいかしら?」と妻。「俺が元気な限り10年は大丈夫じゃないの」と私。「そうかしら、私が先に死ぬだろうからあと5年くらいよ・・・」「先に死ぬわけないだろう。お前は長生きするよ」「そんなことない、絶対逆よ」と譲らない妻。「5年もわからない・・・3年くらいかな?」と会話が続く。昨年末、数少ない従姉が亡くなったせいもあるだろうが、こんな会話がごく普通になっている。(少々、暗い話でご容赦を)

 家に戻ってテレビをつけたら冒頭のニュースが流れていた。都内にしつらえられた仮説ステージの前に立って「愛しているよー」「感謝しているよー」「ありがとー」と幾人かの男性が声を張り上げていた。観客も微笑みながら見ていた。
 

日常五心 2008年1月

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 年末から大雪の地域もあるようだが、ここ千葉県は穏やかな天候で元日を迎えた。風もなく朝の陽射しが心地よい。いただいた年賀状に目を通す。それぞれ趣向を凝らした年賀状が多く、お出しした私の年賀状がやけに味気なくみえてくる。弊社の小林講師からの年賀状は、『心』の字が一文字のみ。読み手に何かを問いかけているようだ。

 偶然、年賀状が届いたのは『日常五心』という言葉を目にしている時であった。そこには ●「有難う」という感謝の心 ●「すみません」と言う反省の心 ●「おかげ様」と言う謙虚な心 ●「私がします」と言う奉仕の心 ●「はい」と言う素直な心 と書いてある。どれも当たり前の言葉だが、私たちが忘れかけている言葉かもしれない。

 今年もよい年でありますように。ご多幸を心からお祈りいたします。
 

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