2010年
再会(後編) 2010年12月

 半月以上筆談が続いた。これまで考えたこともなかったが“普通に会話ができる”、ことのありがたさが骨身にしみた。1か月以上の治療を経て声がようやく戻ってきた。まだ油断はできないが最悪のシナリオは回避できた。ドクターはじめ支えてくださった多くの方々と神様に感謝した。

 今年10月、ある福祉団体から講演の依頼を受け登壇した。会場には当初予定の3倍以上、180人ほどの皆さんが集まった。時間がまたたくまに過ぎた。時間が足りないがそれは仕方がない。精一杯頑張った。手ごたえは十分だ。講演が終えた直後に私に近づいてくる女性がいた。講演中、自信はなかったが「ひょっとしてあの時の人!?」というかすかな思いはあった。「先生、ご無沙汰しております。山口です」。その声と温かな笑みから、間違いない再会を確認した。お会いするのが二度目、直接会話を交わすのはこれが初めてだ。2006年3月15日のことが鮮明に蘇った。感動の再会である。

 風の便りに起業して介護施設を開所されたことは聞いていた。心のどこかで気にはなっていたが自分のことで手一杯。時だけが流れていた。聞けば、施設は2か所を開設。職員も40人近いという。「頑張ったなぁ!」の一語に尽きる。ますますの活躍を期待したい。

 訪れる新年に幸多きことを祈念して本コラム最後の配信といたします。
  

再会(前編) 2010年12月

  『2006年3月15日』、その日からまだ4年数か月しか経っていない。私の頭の中では、もう10年も昔のような気がするのだが・・・その日私は講演のためK市にいた。1週間前から声がほとんど出ない。「当日までにはなんとか回復するだろう」、とタカを括っていた。(初めてのお取引でもあるために)キャンセル願いを躊躇しているうちに当日になってしまった。声は「かすかに」しか出ない。ドクターには「この状態で仕事をすれば大変な事態になる」、とストップをかけられた。だが、あえて覚悟の上、私は講演に臨んだ。

 音量を最高に上げていただき、マイクを唇に押し当てるようにしながら出ない声を振り絞った。話し始めて10分もしないうちに、キャンセルを申し出なかった自分を後悔した。とても講演にはならない。そんなとき、会場の中央に一人の女性を発見した。一生懸命にあいづちを打ちながら私を見守ってくれている。暗闇の中で講演しているような感じだったが、陽の光を感じた。「うなづき」と「傾聴のまなざし」に励まされた。そして救われた。とにかく講演は終えた。その講演のあと、私は完全に声を失った。症状は想像を絶するほど悪化していた。声の回復と失語の確率は半々と宣告された。目の前が真っ暗になった。声を失い絶望の中で、「うなづき」と「傾聴のまなざし」で勇気づけてくれた女性にお礼状を書いた。あの人がいなかったら講演は最後まで続けることができなかったと思う。後日、返事をいただいた。現在は看護職の身にあるが、奮起して1年後には事業を始めたいと書いてあった。

 この内容は年内にどうしても綴りたかったものです。後編は12月23日(祭日)に配信いたします。


寒さの中で 2010年11月

 この夏の猛暑が嘘のようだ。季節は秋を素通りして真冬到来の感じだ。北国からは初雪の便りも届いた。秋を経て冬の準備をするのが常なのに、今年はそのサイクルに異変が起きている。気持ちのせいか、私も含めて、廻り全体に余裕がない気がする。何だかやけに毎日が慌しい。クリスマスローズが新芽を吹き始めたが、咲き終えたカサブランカの鉢は、まだそのままだ。人間の都合ばかりを考えず、花の都合も考えてあげなければ、そんな心境である。秋晴れに期待したい。
 

くじけないで 2010年10月

 『深夜 コタツに入って 詩を書き始めた。私 ほんとうは と 一行書いて 涙が あふれた どこかで コオロギが鳴いている 泣く人遊んであげない。コロコロ鳴いている。こおろぎコロスケ明日もおいでね 明日は笑顔で待ってるよ』

 冒頭の詩は、最近話題の人、「柴田 とよ」さんの作品です。柴田さんは99歳のアマチュア詩人。自費出版した詩集『くじけないで』が、新装刊行(飛鳥新社、1000円)され23万部を突破したそうです。92歳で詩を書き始め、その中から42編が収められています。

 先日、テレビで元気なご様子を拝見しました。「私をおばあちゃんと呼ばないで 『今日は何曜日?』『9+9は幾つ?』そんなバカな質問もしないでほしい」「いまでも 恋はするよの」、などの言葉が印象的でした。


赤平画伯と一献 2010年9月

「赤平浩一(あかひら・こういち)」さんは、東京駅丸の内口改札口を出たところの露店で「店」を構え、50年近く靴を磨き続けていた。靴磨きを始めたのは父母で、昭和20年代から始発で丸の内まで出かけ、最終電車まで働いた。赤平さんも小学生の頃から、授業が終わると両親の仕事を手伝った。

 幼い頃から画家を志し、それ以外の人生は考えなかったという。靴磨きで学費を稼ぎ美術学校に通い24歳で初めて個展を開く。40代半ばまでは日本とパリ、アメリカをいったりきたりしながら、精力的に個展を開いた。そして、合間を縫って、丸の内で靴磨きをした。「靴はその人の生きざまを反映するので、常に清潔にね」、とさりげなく、赤平さんはお客に声をかけた。お客様は政財界人が多かったと聞く。某副大臣もそのお一人だ。
8月29日、某副大臣を囲む30人程度の酒席(勉強会)で、私はその赤平画伯と席をご一緒することができた。70歳を超えているようだが、お元気で豪快な方だ。マスコミは、「靴磨きが絵描きになった、と面白可笑しく記事を書くが、そうではない。絵描きが靴を磨いていただけなのだ」。そう語ってくれた言葉が印象的だった。素敵な出会いに感謝したい。
 

心のこもった言葉 2010年8月

 那覇も私の好きな街である。昨年の思い出をたどるような気持ちで那覇空港に降りた。あいにく、超が付くほどのどしゃ降り。バケツをひっくり返したような勢いだ。でも、どうしても行って食事をしたい店(昨年、初めて入ったとても感じの良かった店)があった。部屋に入って一息入れたが止む気配はない。ホテルの売店に行って合羽を置いていないか尋ねた。「こちらには置いていませんが、フロントに確認してみましょう」、とすぐに聞いてくれた。(その売店はテナントなのに)女性店員の気づかいのひと言がやけに嬉しい。フロントにも合羽は置いていないとのこと。そのお店はホテルの裏手にある。歩いても2分とかからないが、強雨がやはり気になる。それでも、決心してその店に向かった。ところが店が閉まっている。「そうか、今日は日曜日・・・」。迂闊だった。

 案の定、ズボンはびしょ濡れだ。ドライヤーで乾かしてから、ホテルの和食レストランで遅い夕食をとることにした。係りの女性はどう見ても二十歳を過ぎたばかり、そんな感じだ。お若いのに和服の着こなしが上手い。接客も巧みだ。21時半、ラストオーダーの時間を女性が知らせた。「しまった!明日の朝食の買い物をまだしていない」、と気が付いた。聞けば売店は22時閉店とのことだ。箸を置いて売店に走った。

 売店に入ると「お会いできましたか?」、と御姉さん。愛想の良さは変わらない。事情を説明すると、本当に気の毒そうな表情で私の話に耳を傾けてくれた。牛乳・お茶・ヨーグルト・パンなどを買ってレストランに戻った。席に着くと先ほどの女性が言った。「お買い物のお品を冷蔵庫にお預かりいたしましょうか?」と。僭越だが、接客トレーナーである私を唸らせた。「お若いのに凄い!!気くばり!」。私は、その女性の気くばりの後ろに接客名人の上司(先輩)の影を咄嗟(同時)に感じた。
 

真心の案内人 2010年7月

 タクシードライバー遊佐(ゆさ)さんにお世話になって5年になる。仙台から地下鉄で20分ほどの「泉中央駅」が彼の根城だ。5月9日(日)、現地に着いてから遊佐さんの携帯に電話を入れる。ラッキーだ。彼は出勤していた。10分後に1年ぶりの再会を果す。年に一度だが、仕事場とホテルの往復をお願いしている。たいした料金にしかならないのに、一度も嫌な顔をしたことがない。実直で律儀な方だ。時間の約束を破ったこともない。

 今年は、研修ご担当者の配慮で研修時間が半日延びた。仕事は、月曜日〜水曜日の正午まで。例年ならいつもトンボ帰りだ。仙台に叔父がいながら立ち寄ったことがない。せっかくだから訪ねることにした。その前に、電話を入れた。虫の知らせか・・・叔父は悪性の癌で入院していた。月曜日の夜、義理の叔母と娘夫婦が同居しているので、そちらを先に訪ねることにした。ドライバーの遊佐さんの車にカーナビは付いていない。当日、間違わないようにと、住所を目標に自宅の目星を付けておいてくれた。夜9時前、一度も迷うことなく玄関に寄せてくれた。20分程度で帰るつもりが、1時間以上時間が経ってしまった。遊佐さんに待たせたお詫びを述べ、ホテルに向った。タクシーのメーターは動いていない。彼なりの嬉しい気くばりだ。
 
 水曜日、正午で仕事が終わった。仕事先から遊佐さんのタクシーで病院に向う。恐らく、最後の別れになるかもしれない。「橋さん、私に気兼ねなく、ゆっくりとお会いしてきてくださいね・・・」と彼。ここでも彼を1時間以上待たせてしまった。タクシーのメーターはまた動いていない。辛い別れとなるような気がしたが、遊佐さんの心遣いに救われた。その日の夕方、私は静岡に居た。
 

不思議な毎日! 2010年6月

 「本日の配信はギブアップ!」、と諦めていた。少々のことでは弱音は吐かないで生きてきた。でも、ここ1か月以上、さまざまな仕事が重なり過ぎている。無理せずに配信を休めば、それで済むこと・・・そう思い仕事に出かけた。考えてみたら今日はまだ1日。配信に間に合う。気を取り直して、羽田行きの便に乗った。5分遅れで富山空港を17:45分に離陸。羽田には5分遅れの18:45分に着陸。ゲートから玄関までは若い人でも10分はかかる。私は14分かかる。ヘリコプターをチャーターして家に向かった。予定通り自宅に19:50分に着いた。(羽田からの直通電車に乗って、最寄り駅からタクシーに乗っても自宅までは1時間40分かかる)私の親友や友人は、私が滅多に家にいることはない。そう思って電話をしてくる。着いて5分後に電話が鳴った。私が出ると「なぜ、この時間に家にいるの!?」、と幽霊にでも会ったような怪訝な声を出している。そこで、前述のような説明をした。神業でも20時前に到着できるわけがない。だから友人は、「本当に忙しいんだ・・・」とつぶやいた。「そんな金があったらとうに引退しているよ!」と私。ヘリコプターなどチャーターできるはずがない。それでも、19時50分に玄関で靴を脱いだ。橋得意の裏技をつかったのだ。

 毎日、小説を1冊書けるくらいの珍道中。5月9日の仙台の話を書こうと思ったが、もう予定の字数に達してしまった。とにかく、凄い体験の日々。順次、記事にしたいと思っている。明日も、東北に出かける。

 読者の皆様には、近いうちにおもしろい話を頑張ってお届けしたいと思います。今日はここまででお許しください。
 

愛情をそそぐ 2010年5月

 先月は『絆』と題して配信しました。そのせいか、今月は『愛』を語りたい心境になりました。お付き合いください。

 この連休は好天に恵まれそうだ。寒い日が続いたせいか、春の花が一斉に咲き始めた。時期をずらして植えつけたチューリップが連休中に満開になりそうである。昨晩秋から咲き始めた「ミニシクラメン」や「パンジー」がいまでも咲き乱れている。長持ちさせるには適度の水やりと花穀摘みが欠かせない。私の留守に日課としてその役目にあたる妻に感謝・・・だ。鉢植えの梅も綺麗に咲いた。(いまは新芽の緑が目に爽やかである)心配していた可愛い鉢植えの「日本さくら草」や「エビネ」もきちんと芽吹き、いまが満開だ。石楠花(しゃくなげ)はそろそろ見納め。枯れかけていた「ボタン」も一命をとりとめ、つぼみが大きくふくらんでいる。橋自慢の百合の女王「カサブランカ」も勢いよく土から顔を出し、グングン成長している。

 1日、60本吸っていたタバコを止める気晴らしに始めたのが動機。おかげで禁煙に成功した。ホテル住まいが多いときは、週末は事務処理でてんてこ舞い。否が応にもストレスが溜まる。50分仕事をしたら10分外に出て花の手入れをする。この瞬間がたまらない!多くの愛情はそそげなくても、(足りなくても)草花は私の期待に応えてくれる。不思議なほど、裏切らない。でも、私を含めて人は裏切るときがある。「裏切られても後悔しない」、その覚悟がなければ人に愛情はそそげない、と妻は言う。私はまだその心境にはなれない。彼女が一枚上手のようだ。
 

2010年4月

 『絆』。言葉の響きを聞いただけで、なぜか不思議な「なつかしさ」がこみ上げてくる。歳を重ねたせいなのか、世の中全体の絆が希薄になったせいなのか、その思いは定かではない。

@さみしくなったら、おヘソを見よう。―あなたがひとりじゃなかったこと。思い出せたら、きっと大丈夫― 実感しよう、絆。
Aお金を借りるより 車を借りるより 家を借りるより お隣さんに 醤油を借りるほうが難しい。―ふれあうことで絆は深まる―
Bだいじょうぶ。友達100人なんていらないんだよ。―たった1人の親友がいるだけで、“ひとりぼっち”から卒業できるはず。友情って、広さじゃなくて、きっと深さなんですね。― 人生、何年生になっても“絆”を大切に。
Cとなりのおじいさんの新聞受けは、ちゃんと今日も空でした。―「気にかける」から、絆をはじめよう―
D「『一人暮らし』なんてウソでした」―家族と友人からの手紙、知人がくれたクッション、父のカメラ、寂しいときのケータイ電話etc―

 2009年度、新聞広告クリエーティブコンテスト(1465応募作品の中から)入賞作品を紹介しました。
 

iのあるメール大賞 2010年3月

 遅ればせながら、最近ようやく携帯電話でメールの交信ができるようになった。打つ手が遅い私は、(パソコンなら簡単なのにと!)「イライラする」が、とても便利だと思えるようになった。ただ、心をうまく表現しないと誤解を招く危険も多いので注意したい。

@今は、お前が選んだ道を、自分の足でしっかりと歩いて行けばいい。将来、お前の道とお父さんの道が交われば、一緒に歩いていこう。(父から子へ)
A君は生きている。この意味わかるよな〔絵文字ほっ〕(いじめが原因で自殺を考えた時に相談した塾の先生から)
B裏の喫煙所〔絵文字ほっ・パー〕(上司に怒られ、へこんでいた時に先輩から)
C恋愛なんて、一生のうちに1回だけ成就すればいい。まだまだこれからですよ。(大好きな人に振り向いて貰えず落ち込んでいた時に友人から)
D朝から会えば、朝からずっと待たなくてもいいと思います。(返信がなく会えるのか不安になり「朝からずっーと待っています。」と送ったメールにやっと返事がきて泣きながら打ったメール)

 13,358通の中から選ばれた、あたたかい言葉で綴られた感動のメールを紹介しました。メールが“心のビタミン剤”になりますよう・・・・・そう願っています。


素直に・・・ 2010年2月

 昨日1月31日を、1月の1をアイ、31をサイと読ませ『愛妻の日』と言うそうだ。そのことは知っていたので、平穏な一日にしようと思っていた。しかし、ストレスはピークに達していた。(ストレスの理由は恐縮ですが「今月のアドバイス」をご覧ください)朝、早々から妻を怒鳴りつけてしまった。息子夫婦が子どもを叱っているのを目の当たりにして、あれは“叱っている”のではなく、“怒鳴っている”のだと感じてならなかった。どうみてもストレスを子どもにぶつけているとしか見えないのである。いつか厳重に注意しなければと思う反面、その発散で子どもに救われているのなら・・・と目をつぶってきた。
 私は自分が選んだ仕事を怨めしく思うことがある。他の講師は分かりかねるが、並みの神経では務まらない。いつもストレスを抱えている。子どもが巣立ってしまった私には、ストレスをぶつける相手は妻しかいない。でも、あと何年夫婦を続けられるか分からないので仲良くしなければ、という思いはいつもある。怒鳴ってはみたものの、妻は「ボランティアの会の新年会があるから・・・」とお昼前に出かけてしまった。高齢者を支援する会に入っている。自分もとうに高齢者なのに笑ってしまう。

 もう5年か6年になる。私の両手となって頑張ってくれた松丸講師からいただいた白梅(鉢植え)が今年も(いま)満開。たいした手入れもしていないのによく咲いてくれ感激している。玄関は一坪半程度だが、花が所狭しと並んでいる。毎年12月に入ると届くシクラメンが、まだまだ見事に咲いている。福岡県在住の野本さんからの贈り物だ。金はないのに「金の成る木」の花も1カ月以上咲き続けている。
 昨日、執筆の締め切りに追われ時間は無駄にできないが花屋に行った。ストレスが溜まった私を救ってくれるのが草花だ。今日が小遣いの支給日だが、妻にお願いして一日早めてもらった。昨年から「クリスマス・ローズ」にはまっている。どうしても手に入れたかった「クリスマス・ローズ」の八重咲きを二鉢、清水の舞台から飛び降りる思いで買った。
せっかくだから、と鉢も奮発して買った。ルンルン気分で植え替えている最中に、手が滑って大切な花を折ってしまった。「ウワー!!」。その時の声は近所中に聞こえたようだ。セロハンテープで覆ったが、助かる見込みはほとんどない。ショック!
 風呂に入って一杯飲んで、玄関に置いてある水槽をボーと見ていた。孫が縁日ですくった金魚がまた大きくなっている。フナの大きさに化す日は近そうだ。名前は忘れたが、体長1センチ程の魚の数匹のお腹がやけに膨らんでいる。産卵させる場所がない。困った。

 今月は長い記事にならないように。そう思っていたが、また長くなってしまった。まだまだ書き足りないが、昨日一日のことを、そして自分のことを、素直に記してみた。


年賀状から 2010年1月

 明けましておめでとうございます。よい1年でありますようにお祈りいたします。今年も喜んでいただける『話の宝石』を綴ってまいります。応援してください。

 こたつの中でいただいた年賀状に目を通しています。歳とともに、見る目・読む目が違っている自分に驚きます。このコーナーの最初は、『年賀状から』と題して配信させていただきます。(ご本人の許可を得ておりません。ご了承ください。)

 @ほんとに頑張りやさんですね(中学時代の保健室の江袋先生、相当なお歳に) A「ランタナ」の創刊おめでとう(高校の担任鈴木先生、ほかにも同様のお祝いのお年賀をたくさんいただきました。ありがとうございます) B「潮彩の国 六右衛門」も本年で創業20周年を迎えることになりました(SEIKO入社時の同期生、いまは宮城県古川市で割烹居酒屋を経営する紺野君) C新年のお慶びを申し上げます(話し方インストラクター新米時代の教え子国分さん、40年近く欠かさず年賀状が届きます)D謹賀新年(苦労して手に入れたマイホームの販売会社東栄興業様、当時は金利が9%台、それから思えばいま購入する皆さんは幸せです) Eこれからも努力の結晶を育ててください(SEIKO時代の高橋大先輩) F謹賀新年(30年ほど前にご子息の結婚披露宴の司会を担当させていただいた川島さん) G良いお仕事心から応援しております(独立以前から支えてくださった本多先生) Hディベート研修から5年が経ちました。教えをいまでも実践しています(K市から名古屋へ引っ越されたAさん) I高校球児最後の夏、悔いなき戦いの後で、ご家族の記念写真を添えて(20年近いつきあい、気が許せる息子・親友・後輩のカッパさん) J素敵な出会いに感謝しています(自称橋のフアン、東京都Nさん、私以上に頑張りやさん)K六十の手習いでパソコンを始めて今年の年賀状を作りました(和歌山市の西本さん、定年まで研修の裏方に徹した凄い方、おしぼりの中に小さなアイスノンを入れて教壇に用意してくださった気くばりに感激)L誤解のない様に・・・すべて活字印刷です。今年はゆっくりと、貴方との時間を大切に。貴方の声を心から聴かせてください!(岡山県在住のOさん、民家の縁側にたたずむスナップが素敵、以前職員研修を熱心に担当、またお会いしたい方)M中学に入学しました(今年2年になる三つ子の男の子の父Kさん、福岡県在住、橋の研修道のよき理解者) N鉄人28号モニュメントと愛犬パル嬢の写真を添えて(私の尊敬する大野さん、釣果を期待!)O謹賀新年(Y市の副市長、橋の研修に課長時代参加、骨のある男)P市役所30年勤続、あと5年となりました(宮崎県在住のIさん、よき心の友)

 たくさんの方をお伝えできないのが残念です。ご容赦ください。良き皆さんに支えられている自分を幸せに思います。これまでも、これからもご縁を大切に生きたいと思っております。
 

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